日記とか更新履歴とか

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◇ 日記ログ置き場 ◇

2012/10/16
火曜日
SOUND BOOK
nothing -novel-
乙一 [TheBook]
更新箇所
なんでもレビュー:小説レビューに一部文章追記

 年1更新になっている今日この頃……最早今日この頃ですらない!

 ちょっと前までは、ESIOの日記やメインコンテンツ自体は更新しないものの、サイト内サイトである「英雄の故郷」及びそのブログは週1〜3回ペースで更新していたのですが、栗鼠ゲーが終わってしまったためにそれもほぼ更新終了と相成りました。
 非同期型ネットゲーム(ブラウザ上で更新登録をして更新日に結果が出されるので、それに応じてまた更新登録をするタイプのゲーム)のいわゆる栗鼠ゲーと呼ばれる、しまりす氏制作のゲームをずっとプレイして来たのですが、終わってしまうと寂しいものです。
 2002年10月から、りす氏の「ALIVE(第3期島)」を専門の仲間と始め、JACKを初めとするリア友連中も始め、本来接点のなかった私の専門学友諸兄と、私のリア友連中で複合パーティーを組むというのが最初。
 2003年7月から2005年3月まで「ALIVE〜生きる〜(第4期島)」に参加。3期のリーダーだった専門の学友が引退したため、私が英雄の故郷をこのサイト内に作ったので、つまり英雄の故郷単体でも9年運営していた事に。
 その他同時進行の別ゲーや、後継作だけど打ち切られた作品などを経由。
 2006年11月より「The Rest Of ALIVE False Island(偽島1期)」がスタートし、更にリア友、高校時代の生徒会仲間とその旦那さん、専門時代の学友が参加して大所帯に。
 2007年5月に「False Island(偽島2期)」、6月に同時進行の「Fallen Island(堕島)」に参加し、これが2009年6月にりす氏もパソコンがぶっ壊れるて更新不能になるまで継続。
 この時期が英雄の故郷のピーク。「合成」技能に関する攻略/解析情報を更新してたので、あっさりESIO本家の総アクセス数を抜き、ありがたいことに偽島界隈のチャットやTwitterでも「合成の人」で通じるようになりました。
 栗鼠ゲーはゲームとしての攻略の他、文章による物語や日記の執筆という文章的な表現、アイコンやプロフ絵、登場演出絵による視覚的な表現、他プレイヤーとの交流、戦闘でのセリフや技の使い方技能の取り方によるロールプレイ表現など、言ってみれば1000人2000人で遊ぶTRPG的な面白さがあり、私も拙作AraniaStoryの世界観としまりす氏が用意した世界観をすり合わせて、アラニア世界のキャラを栗鼠ゲーで動かすというのをずっと続けていました。
 妙にプロのクリエイター家業の人やプロ級の人が参加していたのもあり、色々と勉強をさせてもらいつつ楽しませて頂きました。
 2期偽島で書いた、拙作キャラ、ヴァンドルフ・デュッセルライトのショートストーリーは合計で37万文字、原稿用紙換算で900枚強(改行や空白などを含めると1000枚以上)になり、関連サイトに載っていたランキングを見ても文章量はダントツの一位でした(何人読んでくれてたかはまた別の話w)。毎週〆切当日にお話を考え始め、3000文字程度で「初見の人でも読める」、「普段の小説と同様に書くつもりで、Web用や読みやすさ、字数稼ぎのための改行やタグは使わない」といった縛りを自分に課した、まあ言ってみれば自慰的な手法だったわけですが、短くまとめるのが苦手で「長文書きは悪文書き」の好例である私にとっては文章訓練の一環として大変有意義でした。といっても、3000文字〜限界文字数まで書くのも制約だったので、短くて面白い文章を書く訓練とはちょっと違いましたが(また短い人で超上手い人、めっちゃ面白い人が多いんだコレが)。
 その後、2009年12月より復活した栗鼠氏の偽島3期が始まり、またHDDがピンチになったり、バグによるボス突破を黙認してもさっさと終わらせようとしたりと中々大変でしたが、それも終了し、六命が始まり、またHDDぶっ壊れて終了して栗鼠ゲー完! それが去年の事でした。
 ……去年に栗鼠ゲー終わって1年放置かという話なんだけども、それ以後も他の定期ゲーとかに参加してたのです。今も一応参加してる作品はあるんだけども、ギルドはもういいやというのでいつでもやめられるようにのんびりプレイ。
 ギルドは楽しさ半分もうこりごり半分。何かしら内部トラブルが起こり、また外部とのトラブルも起こり、その都度事態収拾に動く事になって疲労困憊。押しつけられた面倒ごとや、何故か外部内部問わず私の所に来る他メンバーへの苦情をケンカにならないように(発言者を隠して&発言者が居ないことにして)オブラートに包んで伝えてたら憎まれ役になってたりと、もう知らねえ状態になった所での偽島3期終了。ギルド解散をしたものの、六命開始時に気づけば「とりあえず組もうか」って話になったメンバーがほぼ元のギルド状態でアレ?ってなったりしつつも、まあ何だかんだで楽しくやってまいりました。人間関係で苦労するのは現実でもネトゲでも同じさ、だってネトゲでも相手は現実だもの!という割り切りは必要ですねw でもMMOはかたくなにやらない!w

 さて、かなり久しぶりに更新した訳なんですが……そろそろもうこの形式の更新は諦めようかなと考えています。
 現状、HPビルダーを立ち上げてサイト管理して更新してというのがかなりしんどいので、何かもうちょっと気楽に更新できる形式に変えようかなぁなどと。
 テキストエディタ等で手打ち更新すりゃ良いじゃんというのもよぎるんだけども、趣味の更新ぐらいソフトで視覚化して楽に更新したいじゃない。
 その辺を考えるとブログが無難なんだけれども、ブログ登場時に「サービス終了とかエラーで消えたらどうするん?」ってので嫌がってた「うちはブログにはしねぇよ!」みたいな事を言ってたわけですが、まあ出始めた当初こそアレでしたが、今では最早ブログが主流。エラーやメンテで見れなくてイライラすることはあれど、更新のしやすさと見て貰いやすいという点、管理の楽さという辺りではかなり有用なので、レビューと日記をブログにしてしまってもいいかもななどと考えています。
 容量も増えてきたので写真を使ったレビューが可能になったのも大きいね。

 そんなわけで、こういう形式の日記はひょっとするとコレが最後かも知れません。
 閉鎖? しないしない、もう1年に1回しか日記更新しないようなサイトなんだから、閉鎖するならとっくにしてるさ。
 リニューアル作業にどれだけ時間が割けるかは解らないので、実行されるのがいつかは解りませんが、その際には恐らく小説のコーナーも形を変えるかと思います。ラノベ文学賞なる賞が新設されたので、ゾンビ文学とかをそちらに出すために下げて大改変を行うので、そのついでに世界観周りにも手を加えていこうかと思っているので一度コーナーを閉鎖しての作業になるかなと。

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11/02/24
木曜日
SOUND BOOK
nothing -novel-
nothing
更新箇所
BMS代理アップ:細かく修正しました

 約1年ぶりの日記更新です。のんびりマイペース更新にも程がある!

 「SNK PERFECT DATABASE」も(資料を漁りまくって正確な情報を探さなければいけないため)作業時間が取れずにのんびりペースですが、しまりす氏の非同期型ネットゲーム用の攻略/解析/ギルドページの「英雄の故郷」は週1〜3回更新しているというのも相変わらずです。
 さて、今日いきなり更新したのはなぜかと言いますと、BMS代理アップをさせて頂いていたkenさんから今年から活動を再開したとの報告メールを頂いたからでした。
 代理アップはそのまま続けても良いそうなので、お言葉に甘えてアップ継続しつつ代理ページをちょっとだけ弄りました。
 juno&uneのjunoさんの活動再開&CDリリースや、kenさんの活動再開など、作者の方々と連絡が取れなくなっても、容量問題や規約変更による引越などで何度もサイトを移転しつつ、代理アップ用の容量を安定して確保するためにも現在の有料サーバーへ引っ越した甲斐があったなぁと感慨無量です。

 これだけでは何なのでちょっと映画の感想を。

 今日は映画ヒアアフターなどを見てきたのですが、クリント・イーストウッドもすっかり名監督だなぁとしみじみ実感。
 映画は、タイトルが来世や死後の世界を意味しているそうですが、中々面白い作品でした。
・巨大津波に被災して臨死体験をしたフランスの女性ニュースキャスター
・他人の手に触れるとその人の身近な死者と会話が出来るという霊能力を持っているけれども、それ故に人間関係を築けず、能力を「呪い」と呼んで力をひた隠しにする霊能者のアメリカ人青年
・おしゃべりな兄と無口な弟というイギリス在住の双子の少年と、その親で麻薬中毒から抜け出そうと足掻くシングルマザー、福祉局の人や少年の里親との関係、少年の試練
 この3つの国も性別も年齢も違うドラマが同時に進行して行くのですが、もちろん題材が題材なので人の死や、生きている人間同士の交流や葛藤というものが描かれます。
 この映画で特徴的だなと思ったのは、「宗教臭くもなければ、押しつけがましくもない、ふんわりとした感触」です。
 特定の宗教や特定の国の価値観を押し付けず、映画的に「こう感動しろ!」「こう感じろ!」「こういうことだ!」という「万人に伝える為のメッセージ」を用いないというのは良い。
 ストーリーライン自体は特筆して素晴らしいとか仕掛けがあるというわけではないけれども、丁寧に伏線をちりばめて回収していくのは良くできていた。
 難点があるとしたら、3つのストーリーが交わる所がやや強引というか唐突な感があるなという所だけども、納得出来る理由付けも無いわけではないし、何よりも交わり始めた際に「あれ、終盤? もうそんなに時間経ってるの?」とようやく気付くぐらい話に引き込まれていたのは私的には珍しい体験だった。押しつけがましく無いのに引き込まれる、これは素晴らしい。
 素直に感性だけで映画を見れる人や、意味を考えながら映画を見れる人には合っているかもと感じたが、それ以外の人だと若干退屈だったり、何を伝えたいのか解らなかったり、ちょっとぼやけた印象を持つ可能性もある。でも見ても損は無いと思うので、興味があればあまり事前情報を集めずに思い切ってさっと見て色々感じたり考えたりして欲しい一本。
 どこかの感想でも見かけた気がするが、老境に入ったイーストウッドが死を身近に感じながら、やさしく孫に語り聞かせる感じという表現は的確だったなぁ。

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10/02/16
土曜日
SOUND BOOK
nothing -novel-
nothing
更新箇所
英雄の故郷:調査を更新

 崖の上のポニョを見ました。凄く怖かったです。

 ……というのが2010年最初の日記ってのはどうなんだろう。
 去年の日記更新回数は3度! こいつぁひでぇや!
 ESIOのコンテンツ自体の更新は多分100回以上あるんだけども、日記がさっぱり! お気楽サイトにも程がある。

 ともあれ、ポニョを見たのです。
 公開当初、観に行った姉貴が「あれは怖い、アンタも見て感想を聞かせて」としきりに言っていたのですが、TV放映を待ってたら2年近く過ぎていたわけで。

 実際見てみたら本当に怖かった。
 恐らくこれは見る人によって確実に受け取り方が「楽しい/感動した」と「怖い/不気味」という評価のまっぷたつになる気がします。

 ひと言で評するならば、子供向け狂気映画。
 私は映画に集中しつつ、Twitterでちょこちょこ感想を実況気味に書き込み、CM中に流れを見るって感じで鑑賞していたんですが、見ている知り合いがことごとく怖い怖いと言っており、最終的に「感動した!」と素直な感想を言った人は1人だけでした。

 序盤を見ている時、ついったーで一人が「子供の行動は子供だからで納得が行くが、親(大人)の行動が理解出来ない」と言い、その話してる時に別の人が「これはポニョが認識を歪めているのではないか」と言ったのが凄く腑に落ちました。
 理性的に行動しているはずなのに、「なぜその行動をとろうと思ったのか」、「なぜこの現象に対して驚いたり途惑う描写もなく、普通に反応しているのか」といった所が不気味だという感じは私も受けており、それに対しては「アニメだから」とか「お話だから」という作品への没入や感情移入とは程遠い受け取り方だったんだけけれども、ポニョという魔法を使える半魚人が、(本人の意識/無意識に関わらず)様々な認識を歪めたり干渉していると考えれば「なるほどな」と。

 以前からポニョはクトゥルフ神話であるという説や、死後の世界説などが存在するのは知っていましたが、恐らくそれらの予備知識が無くとも私も同じように感じたことでしょう。

 簡単に言うとこれは、「考えなければ考えないほど、明るく楽しい」、「考えれば考えるほど、怖く不気味」なんじゃないかなと。
 ただ、子供でも怖いと泣き出す子もいるらしいし、大人でも普通に楽しかった、感動したと感じる人がいるのが、従来の宮崎アニメとは一線を画した独特の1作に仕上がっている気がします。

 以下はネタバレが混ざります。

 中盤に入る前に、主人公宗介の住む海辺の待ちは津波に沈みます。押し寄せた波も引いていないため、崖の上に建っている宗介の家が孤島になるレベルの大洪水。街が海に沈んでしまいます。
 その直前、宗介の母(ただし劇中で宗介が彼女を母と呼ぶことは1度も無く、常に「リサ」と名前で呼ぶ)は遠くの山の上に移動する光を見つけ、また職場である老人ホームを心配して一人車で出掛けていきます。
 残された宗介に「家の灯りは他の人にとって『ここに人がいる』という安心を与える灯台になるから、家に残っていてくれ」と言うわけなんですが(書き忘れた、宗介の父でリサの夫は船乗りで、宗介は灯りによるモールス信号、リサはアマチュア無線のスキル持ち。立派な船乗りの家族)、リサはそのまま帰って来ず、宗介とポニョが寝ている所にポニョの両親がやってきて「灯りを消し」てしまう。正直リサが光におびき出されたようにしか見えないんだけども、このシーンはポニョの母(海なる母、海の女神的な存在で作中では常に偉大で優しく、母性にあふれ、微笑を称えた姿で描かれている)の「お休み子供達」というセリフから、穿った見方をしなければ「ほんわかするシーン」だったりします。

 翌朝、宗介とポニョは海中に没した街の上を魔法で大きくしたオモチャの船で進み、リサを探しに出掛けます。
 ここで、手こぎボートに乗った夫婦と赤ちゃんに出会うんですが……ここが結構論争の的になる「引っかかる事が多すぎる」シーン。
 また、この小さな船旅の中で宗介とポニョが仲良く海中を泳ぐ魚を見て「古代魚だ!」などとはしゃいでるんですが……うん、古代魚だね、本当に。
 ここについてはもうちょっと後に回すとして、初見で受けた感想を先に書いてしまおう。

 リサや宗介が目指した老人ホームは海中に没しており、ポニョの母がクラゲで作ったドームで囲われています。ドームの中ではこれまで車椅子生活だった老婆達が自分の足で立っており、「あの世はいいわねぇ」「自分の足で走れるって素敵!」などとはしゃぎ回っています。リサもそこでポニョの母と共に宗介を待っているのですが、ちょっとだけひねくれた老婆だけが、ぽつりと残された陸上に一人で隠れていました。

 ポニョの母は宗介に試練を受けて貰わねばと言い、ポニョの父は「失敗すれば泡に……」と止め、ポニョ母が「私たちは元々泡から生まれてきた」と返すシーンなどがあり、「宗介が何らかの試練を乗り越えない限り、ポニョは泡になってしまう」という事、更には月が近づいて来て人工衛星が落ちたり世界が歪み始めているという描写がある事などから、宗介とポニョだけではなく、なんだか世界の命運もかかっているというのがわかります。

 さて、リサを探す宗介は、魔法の使いすぎか今にも寝てしまいそうなポニョの手を引いて、真っ暗なトンネルの前までやってきます。
 そこで突然ポニョが「ここ嫌い」と言い、宗介は「前にも来たことがある」と言ってトンネルへ……。色々な暗喩に使われる事の多いトンネルというものをここで出して来た事に加えて、突然の「ここ嫌い」発言。純粋に見れば子供は誰だって暗いトンネルは怖いんだけども、しかし言っているのは人間の子供ではなく、ポニョなんだよね。魔法も使える半魚人のポニョ。
 しかしトンネルを抜けないことには先に進めないわけで……。
 進むうちにポニョは眠気が限界に来たのか、魔力を使いすぎたのか、それとも別の原因か、人間の姿から、カエル人間のような姿に戻り、更には人面魚状態に戻ってしまい眠り込んでしまいます。

 眠るポニョを抱えて宗介が老人ホームのそばまで来た時に、ポニョの父が現れて一緒に海中のドームに来るように言うのですが、そこでひねくれ老婆が出てきて「皆取り込まれてしまった、宗介は行ってはいけない」と頑なに止めます。
 結局老婆はバランスを崩した宗介の手から飛んできたポニョにぶつかって意識を失い、そのまま宗介やポニョと一緒に海に落ちて海中ドームにまで連れて行かれるわけですが……このシーン、普通のアニメや普通のお話ならば、ポニョの父の言動や行動は「罠にはめようとしている悪役」、「悪魔の誘い」にしか見えず、ひねくれ婆ちゃんが宗介を助けようと必死になっているシーンなんですよね。
 ポニョ父も最初はポニョを追いかける不気味な男として悪役的立ち回りをしていたから余計に。作中では三枚目な姿や子を想う姿、人間くさい所を見ており、害意や悪意が無い事は解っているけれども……。

 で、最終的には試練を受けて成功し、老人ホームのご一行が地上に戻ったラストシーンへ。
 老婆達は皆元気に自分の足で坂を登って救助に来た人達を驚かせ、ポニョの両親は海に帰り、ポニョは魔法が使えない代わりに人間になり、そこでエンドマーク。結構唐突な終わり方。


 さて、私が怖いと思った数々の事は、明らかに人外の存在がいて、人知を超える現象が起きまくっているのに、大人達がそれを受け入れてしまっている不気味さや、描写の不気味さ、怖さの積み重ねに加えて、「何かを暗喩している」と思えるような要素が怒濤の勢いで積み重なっていく薄気味の悪さにありました。
 私がラストシーンを見て思ったのは、「生と死、過去と現在、人間の世界と異界が混ざり合った世界になってしまったのか」、「宗介の主観で見ると母は見つかり、父の船も無事に戻って来て、ポニョは人間になり、ポニョの両親にも認められ、更には宗介の自宅だけが沈んでいないというハッピーエンド」、「宗介以外の視点で考えると、街は沈み、水は引いておらず=ただの津波ではなく海面上昇、人工衛星も落ちっぱなしでそのまま終了というバッドエンド」という事でした。
 普通ならポニョが世界を歪める原因になっているのなら、ポニョが魔法を失って人間になる事で全て元通り。街からも水は引くだろうし、ひょっとしたらそういう洪水自体も無かった事になる――そういうハッピーエンドになると思います。
 でも、コレ全部起こったまま。水が引いたとか、何人死んだ、生き残った、他の地域や世界の国はどうなった、人工衛星も落ちてこれからの人間の生活はどうなるとか一切なし。っていうか、街中に古代魚とかクジラが泳いだまま?

 不気味、気持ち悪い、怖い、そういう印象を持った人が多いのも頷けます。


 さて、先程「後に回す」と言っていた所。ボートの夫婦。
 これについてなんですが……どうも「パンフレットであの夫婦が大正時代の人間だと書いてある」というのがあるらしく……。
 パンフレットをスキャンした物が無いかと探してたんですが、見つかりませんでした。
 ただ検索をしていると
>それと、パンフレット。良く読んでみると……

>婦人 柊 瑠美 (←注:千尋の中の人)
>(前略)監督から大正時代の落ち着いたお母さんなんだけど、生活感がない感じで(後略)

 というのを発見。
 また、最初に怖い怖い言ってた姉貴からも「劇場でパンフ立ち読みしたら書いてあった気がする>大正の人 その設定見てよけいに混乱したなりよ。」とコロスケ風味な情報を頂きました。
 「大正時代風」を意図していたのかも知れないけども、でも大正時代風と「大正時代の落ち着いたお母さん」じゃ意味が違ってくるよなぁ……。

 で、だ。
 私が引っかかったのもまさにここで、街が沈んでるのにこの夫婦妙にほのぼのとしていて、まるでピクニックに行って湖畔でボートに乗っているようなノリなんだよね。何か古めかしい雰囲気もあって、でもこの夫婦は「宗介くん」とか名前を呼んでくるんだ。なんだこれ。
 で、その夫婦とのやり取りが終わったらまるで軍隊みたいなノリの手こぎ船団が避難民連れて現れて、山の上のホテルに批難するからついてこいと言ってくる。
 何か助けはいるかと言われて、夫婦はいらないと答え、宗介とポニョはリサを探すために船を出す。それを見て船に乗っている人達(宗介の保育園仲間も)が声を掛けてくるんだけども……誰も子供二人であらぬ方向に船を出すのを咎めない。んん〜?
 船団と別れた後に鳥が飛んでいる空が映るんだけども、そこで流れてる曲は妙に行進曲っぽい。んんん〜? なんだろうこの違和感。
 映画を見終わってからそのもやもやが形になったのは、その「パンフにあの夫婦は大正の〜」ってのを見てから。
 大正時代の人、これが生きているのか死んでいるのか、時間が交錯しているのかは解らないし、何で宗介の名前を知っていたのかも解らない。ただのご近所さんなら、母親とはぐれて見知らぬ女の子と、訳の分からない船に乗っている宗介を見咎めないのも理解出来ない。
 「生と死、過去と現在、人間の世界と異界が混ざり合った〜」
 これが一番自分の受けた感覚と近い言語化であるという気がする。なんだこれ。

 穿ちに穿った考察とかだと、長文だけどこれが面白かったけども(書いてる人も自分の妄想であると言っています)、これが妙に説得力を帯びるほどの不思議と不気味と違和感に充ち満ちた映画であるのは確かです。
 また、上記のでも紹介されていますが、読売オンラインの記事で久石譲が以下のような事を言っています。

> が、映像が出来るに従って、子供の純粋な心だけが描かれた映画でないことがわかってくる。謎めいた展開は説明されぬまま、見る者に解釈がゆだねられる。
> 「死後の世界、輪廻(りんね)、魂の不滅など哲学的なテーマを投げかけている。でも、子供の目からは、冒険物語の一部として、自然に受け入れられる。この二重構造をどう音楽で表現するか。そこからが大変でした」
> 例えば、再三登場する主題歌の旋律は、編曲をすべて変えた。不協和音や複合リズムを導入するなど、映像に寄り添い心地よく流れる音楽は、注意深く聴くと、複雑で抽象的だ。


 ……死後の世界とか輪廻とか魂の不滅とか言っちゃってるよ! やっぱこれそうなんじゃないのw
 受け手次第で印象を真逆に変える、味わい深い一本です。
 …………DVD買おうかな。というか、解説を書いて欲しいとか言っていた姉貴よ、ブルーレイでもDVDでも良いから買って弟に与えれば良いよ、考察するよw
 本当に不思議な作品だ。
 もう一度見たいような、もう二度と見たくないような、これまでの宮崎アニメとは決定的に何かが違う、そんな気がする。

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