2000年
8〜12月の日記
選別版
解説…
 サイト開設した当時、高校三年生だった頃の日記です。
 卒業が近づくにつれて、色々なゴタゴタや悩み事が増えていき、日記も荒れてくる滑稽なさまを笑ってくだされ(泣笑)
2000年
8月8日
 本日は部活、起きてすぐ行き、帰って来たらこの時間(23:12)そして、更新すべき個所は、「おすすめBMS」、「レヴュー」
 ……間に合わねぇぇぇぇ!! と言う事ですみません。m(_ _)m
 今日からギャラリー用の短編小説を執筆開始。ファンタジーです。しかし現在原稿用紙5枚、まだまだです。
 練習用のコピック購入、3本で約800円也。・・・高い(泣)

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 これがサイト用アラニア執筆開始の日ですね。感慨深い
 豆知識としては、あの土下座してる。顔文字は当時から今に至るまで、ずっと毎回打ち込んでいます。他の顔文字は「かおもじ」で単語登録しているのですが、やはりあれは詫びる気持ちを表しているのだから、単語登録で書くのは失礼だろうという理由からです。これからも、単語登録をすることはないでしょう。
2000年
8月22日
 今日は部活、文化祭の予算で先生と会議。
 ……って、JACK来てないし(笑)
 予算の振り分けや方針が少し決まってくる。しかし、更新にかける時間が取りにくい……昨日、一昨日で友人たちに「ついに更新止まったな」と言われまくる(笑)
 確かに毎日更新していたけど、夏休みが明けたら毎日更新は不可能になるので、元々毎日更新でやっていくつもりは無かったんです。が、やっぱ悔しいなぁ。密かに夏休みは毎日更新を目指してたり(笑)
 明日はTRPGを学校で。……やばい! 更新できるのか!? JACKは来るのか!? 謎は深まるばかり……
 しかし、今日は大した更新が出来ないなぁ……。夏バテにPCクラッシュに部活が重なるとは思わなかった(笑)
 皆さん、こんな腑抜けですがお付き合いいただけたら幸いです。

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 この前日までは、毎日更新を欠かしたことがなかったんですが、ついに休んでしまったという日でした。
 今から考えると、えらい真面目に更新しとったなぁ(ぉぃ
2000年
8月27日
 昨日のMOONクリアにまだ感動。
 エンディングみた人〜、サンキューフォープレイングのあと数分待ちましたか?
 何分も待つとスタッフからのメッセージが表示されます。3種類ほどあるので、表示されても消さずに気長に待ちましょう。
 MOON最高!

 某200Xを見ていたのですが……睡眠不足のリサーチで「物覚えが悪い(記憶障害)」、「疲れやすい」、「肌が荒れ吹き出物が増える」…………なんかね、最近ね、物事を覚えられなくなっててね、うん。それとね、凄く疲れやすくてね、うん。あとね、吹き出物も増えてきてね…………今日からちゃんと寝ましょうかねぇ。
 他になにか体の不調は……「目が痛い」、「目がすぐに疲れる」、「いつもけだるい」……………………完全に睡眠不足ですね。しかも寝る寸前でもコーヒー飲むし(笑)ってことで、今日からちゃんと寝ます。
 ずっと朝5時から8時に寝てたしなぁ。一日6時間寝れたら良いぐらいだったし。
 ってか、2〜4時間がざらだったなぁ……反省。これからはちゃんと寝ますね。

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 ちゃんと寝てません。三年経っても進歩してません。この日記読み返して「なるほど! 睡眠不足が原因だったのか!」とか思うほど、何にも変わってません(泣)
 ここで書いているMOONとは、アスキーから発売されたラブデリック制作のPSゲーム「MOON」の事です。私は良くmoonと表記しますが、どちらが正しいのかはわかりません。ただ、いいゲームです。ヌルゲーマーからヘビーユーザー、はたまた一見さんでもやってみてください。
2000年
8月29日
 冷やしビデオ始めました。
 ということで、冷やしビデオ始めました。冷やしCDも始めました。冷やしMDも始めました。
 唐突に母から「宅急便届いてるで〜」と言われ「あ、沙羅さんが送った奴かな?」と思っていると、「クールで来てるからはよおいで」との声が……
 クール? え〜っと沙羅さんはビデオを送るといってた気が?
 おりてみるとあらビックリ。ほんとにクール宅急便だ。
 開けてみるとそこには……「空のビデオ(冷え冷え)」、「空のCDR(冷たい)」、「紙に包まれたMD(冷やっこい)」、「壺(もちろん冷えてます)」
 ………………壺?恐る恐る開けてみるとそこには……「コンペイ島!」
 なんと……こんな所にソロモンが……ガトーが泣くぞ。……マ・クベは喜ぶかな?(壺)
 高さ7cmくらいの壺に金平糖がぎっしりと(笑) 恐るべし沙羅さん(笑) 全てをどけると底には……饅頭? をぉ饅頭だ(笑)
 家族に「食うかい?」と聞きふたを開けると……デカッ!Σ( ̄д ̄) 良く見ると「ジャンボ饅頭」と書いてある……
 恐るべし沙羅さん!今日は不思議な一日になりそうだ(笑)

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 当時全盛期だった炸裂会で、一番良くして頂いた沙羅さんとのオフでのファーストコンタクト(と言っても、お会いしたわけではないが)。
 確か、関西圏で放送されるけど、あちらでは放送されないという番組を録画してくれないかと頼まれて、ビデオを送って貰ったような記憶が……。
 MDにはツェッペリンなどの沙羅さんが好きな音楽がたっぷり。今でもたまに聴いてます(笑)
 CDは何枚か使っていいとは言われたものの、何枚かは未だに未開封だったりします。
 コンペイトウは私の動力となりましたが、ちっちゃい壺はハンコ入れにしてます。
 饅頭は美味かったです。
 茶目っ気たっぷりの、愉快な姉御です(笑)
 しかし、今になって思うと、あの時のビデオが撮れていたのか、ちゃんと沙羅さんの手元に届いたかどうかの記憶が定かではなく、いまさら心配してみたり(遅)
2000年
8月30日
 夏休み終了寸前になって、カウンターの伸び方がゆっくりになってきた。原因はたぶん、忙しくなってきた学生さんが来れないのと、僕のコンテンツ内容の薄さでしょうかね。コンテンツが多くて薄い。これを解消しないと見にくいサイトのままッスね。
 TOPの変更は好評ですが、まだまだ見やすくしたいなぁ・・・ご意見まってますね。
 さて、部活という名目で学校に遊びにいってきます(ぉぃ  続きは帰ってきてから書きます〜

 (続き)
 さてさて、今日のTRPGも一日で終わらず、明日僕の家でセッションする事に……
 話は変わりまして、今日は不思議体験の日でした。
 長いのでここから下は見ないでもいいです(笑)
 本日のTRPGを6時で打ち切り、のんびりとマクド(関東圏ではマックですね)でシェイクなどを買い、もう暗くなってたけど、学校近くの公園へ。
 入ってちょっと経ったとき、JACKが何か見えるとの事。
 実はその公園、僕も嫌なものを感じる事が多いので、今ままであまり寄り付かなかったのです。
 JACK曰く、「入ったときに見えた。」との事。
 僕が「今の時点で何人見えた?」と聞くと、あっさり「5人」と答えが(笑)入って10分と経ってない気が……
 まぁ、寒気はするし、背後に気配はするし、「あ、やっぱりな」って感じでしたが、その場に居たメンバーは、「通称・黒い人(霊体験無)」、「副部長(霊感なしとの事)」、「僕(霊体験しょっちゅう。感じはするが、見えるのはそんなに)」、そして、「JACK(それこそしょっちゅう。僕なんかより遥かに見てる。ってか、良く見えてる)」こんな4人。
 話をしていると、向こうの通りを車が通ったので、眩しいなぁ顔を上げるとなんとまぁ……身長176〜1788くらいの、ちょっとがっしりした白い人――というか、人の形をしたモノが……
 目の錯覚かとも思いましたが、気配は色々とあるので本物だろうと心の中で仮定。
 しばらく話をしていて、いつの間にか副部長が星を見上げていた時、「あれなんや?」と言う。
 見上げると空に光点が。
 飛行機にしては少し高度が高いようでしたが、確かに移動しています。飛行機やろ。と、思いましたが……ん?
 翼の光が無い。しかもはっきりと弧を描きながら飛んでいる。
 さらに変なのが、とても高度が高いのに、かなりの速さで移動している……。しかも、木の葉が落ちるようにジグザグに飛びながら……(汗)
 あの高さ、あの速度、そして、あの動き……まさか……ね(笑)
 黒い人が「戦闘機の訓練でもしてるんちゃう」と。んなはずあるかい。
 あそこの上空で訓練したら絶対重大問題に発展するっちゅうねん(何)
 だれも、何も口に出さないが、アレ……UFOじゃないの?
 さらにそのあと、副部長が僕が白いモノを見た方向に「何か見えた」と、一言。
 霊感無い人に見せることが出来るとは、なんと自己主張の強いゴーストだっ! さらにその後、しばらくしてから、JACKが僕が見たのとまったく同じ場所を見て一言、「クリムが見たのって、ごっつかった?」と……。
 副部長が見たのはスレンダーで、身長は僕が見たのと同じくらい。そして、JACKがみたのは――
「青いスニーカーに白いズボンで、ごっつい」
 ………………いやぁぁぁぁ! しっかり見えてるぅぅぅぅぅぅ!(泣)
 僕が見たのはレスラーぐらいまではいかないものの、格闘家っぽい体型だった。自己主張激しいなぁ君は(違)
 その他にも、僕が座ってた所で足に掴み掛かるというか、纏わりつくというか、そんな感じの感覚があると言うと、JACKもあったらしく、嫌な所で意見の一致(苦笑)。
 さらに、一般的に幽霊と言われる方々の見え方について、僕が「視界を移動させたときに、いきなりそこにいて『え?』と思うともう見えなくなってる。」ってな感じの事を、霊感の無い副部長にいうと、JACKが「ああ、そんな感じやな」ってな具合に同意。
 なんか……意見一致しちゃいけない事柄の気が……(泣)
 まぁ、そんなこんなで帰って来たわけですが、夏の終わりの不思議体験。
 なかなか面白かったです。ってか、JACKと二人で大阪城とか行ったら、絶対見えるやろうなぁ……
 特に部長(大石きつね)がいっしょやったら(理由は本人に言ってないが、かなり憑いてくるタイプ。)絶対見つづける気が……

 って事で、長くなりましたが、今日はこの辺で(笑)でわ!またね〜(趣旨が変わってる?)

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 これが初の長文日記。
 JACKとの不思議体験はこれ以後も何度かあり、大体JACKに「なぁ、今……」と聞くとアッサリ肯定されるという事が続きました。それがはたして本当にそうだったのか、JACKが怯える私をからかっていたのかは今でも解りません。
 この日見えたUFOらしきものも、今になってまだ、どう冷静に考えても異常な動きをしていました。
2000年
9月1日
 さぁ、今日は学校だ! 初登校! 初サボリ!(ぉぃ
 いや、登校はしたんですよ。いつもより早くね、うん。
 僕はちょいとややこしいシステムの高校に通ってるので、登校時間は夜間の学校と似てるんです(授業開始は17:30、ちなみにうちの学校で最大限授業を詰め込むと、10:30〜21:15という恐ろしい事も可能)。
 今日は始業式の前に生徒会があったので少し遅れて(ぉぃ)参加。しかし、文化祭の会議で部活の出展と、生徒会のスタッフの仕事でもめてしまい(うちの部の主力部員5人のうち4人が生徒会役員)、結論が出ないまま時間が過ぎていきました……
 つまりは、気が付いたら始業式始まるちょっと前だったんです。
 始業式をサボって、HRから出ようと画策していました。そろそろかな?と思ったら、うちの副部長が(唯一生徒会に入ってない主力部員)そして開口一番「なんで出なかった?」……ん?
 ちなみにその時18:10。うちの始業、終業式は最低でも35〜40分はかかるはず……
 「HRから出よう思てん」というと「終わった」と返される。
 ……やっちゃったぁぁぁぁ! 初日からサボリ! ぐはぁっ!
 明日は出ようと思い「明日は授業何?」と聞くと「体育2時間だけ」……どうしよう?(ぉぃ

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 「体育2時間だけ」というのがミソ。後々に大きく作用するのである。
 この年は本当にサボリまくりで、ムカツクこともありまくりで、でも最高に楽しかったです。
 ちなみにこの日、juno&uneさんのBMS目当てに、一気に来訪者が増えて一日に831カウントを記録しました。
 それまでは、開設〜二週間くらいの間が一日100カウント、それ以降が一日40カウントくらいだった事を考えると、脅威的な数でした。
2000年
9月8日
 一応日記だけでも……今日は生徒会の仕事の〆切りだったんですが、一応間に合いました。
 が、なんとなくやり直しを自ら決定。
 しかし、JACKが旅行とやらで岡山と和歌山に……何しとんねん……
 部紙(注:管理人は新聞部)延期! イェイ! 覚えてやがれJACK!ということで、日曜に来る予定だっただいふくよ、スマン。日曜は無理になったよ……日曜にうちで新聞部と生徒会の仕事を集まってする事に……
 でも、時間空いたらTRPGに発展する予感……。一応時間空いたら明日にでも来てね。

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 またもやJACKがやってくれてます(笑)
 このログには残さなかった日記でも、JACKが来なくてTRPGのゲームマスターがマジ切れ寸前まで行ったという内容のものがあったり……。今ではこんなこともない――というよりも、この当時ほど頻繁に会えなくなったんですよね。
 確かこの時では面識のなかったJACK(高校の友達)とだいふく(小学校の友達)も、今では一緒に遊んでます。
2000年
9月12日
 すんません、本日は体力的に更新が不可能っす……日記(ってか、今日のは愚痴なので見ないで良し!)が限界……はぁ〜
 友人と喧嘩の予感……しかも向こうが何で切れてるのかも不明、周りの友人も何故か解らぬ様子。
 君、切れすぎだってばよ(泣)
 しかし、最近マジでやばい。階段で倒れかけたり心臓が痛んだり……洒落になってねぇ〜
 恐らく原因の8割は、精神的に溜め込んできた2年ほどの疲れが限界を超えた為かと……いかん、いかんぞ……
 この時期に病院送りは洒落にならん。せめて皆に迷惑をかけんように10月入るまでは……
 でもマジで洒落になんねぇなぁ……今日は上記の心臓の痛みで(とは言ってもずっと痛むわけじゃないよ)早退。
 くそぉ……何か色んな事を溜め込んでしまう自分の性格が嫌になってきた(苦笑)
 HPの更新が精神的には苦痛でもなんでもないのが唯一の救いだ(笑)体力や時間的にきついのは、
 このような日記だけという荒業でカヴァー(ぉぃ
 それでは、明日は更新できると良いな〜
p.s.某・台風様BMSのUPはちょっと待ってくださいね。

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 台風516号さんが初登場〜
 思えば長い付き合いです(笑)
 この時の日記にある「友人」が誰を指しているのか、今となっては思い出せませんが……多分大石きつねなのかなぁ〜と薄ぼんやり。当時、かなり一緒に行動してたんですけど、お互いに相手を「お前もガキだなぁ」とでも思っていたらしく、事あるごとに些細な切っ掛けからのケンカ(というよりも、大石との場合は冷戦)になっていました。
 でもこの時のは確か、私も周りの誰も、ケンカになりそうな理由がわからずに困っていました。ま、若者ってのは色々大変なんですなぁ(オッサン化しとる)
 ちなみに、心労で倒れかけたり、心臓が痛んだりというのはマジです。
 この当時は本当に学校でトラブルが続いており、さらには二年間友人相手に溜め込んでいた鬱憤が限界に来ていたために、こんな事になっていました。まだ腹割って話せるほどの友人関係が築けてなかったんですねぇ……
 溜め込んだ鬱憤については、大半が溜め込んだまま時が過ぎ、時間が解消してくれました。
2000年
9月18日
 原稿が進まない〜、BMS作家さんのインタビューを企画してまして、ONOKENさんやC.A.Pさん、junoさん、coodeiさんの4人と、作曲家の大嶋啓之さんにOKを貰っているんですが……
 4Pという規定を大幅に越えてしまいそうだ……6Pくらいかなぁ? いかんいかん。
 順調すぎて止まってしまうと言う奇妙な状態になってます(泣)

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 インタビューと表記してますが、正確には問答みたいな形式でのQ&Aでした。
 ONOKENさんは今でもBMSを作っておられる人気BMS作家のようです。C.A.PさんはBMSを引退されているようですが、氏とのメールのやり取りで偶然知った、仲間内用のサイトはまだ続いているようです。お元気そうです。
 junoさんは本当に最近復活なされて、大嶋さんと同じく“作曲家の”という紹介の仕方をしたほうがいい方になっています。coodeiさんは、実は(面識のない)高校の先輩だったんですが、私が不義理だったためか、親交が絶えてしまいました。それでも氏に作っていただいたバナーは、当サイトのメインバナーとして使わせていただいています。先日のサイト改装時に、氏のサイトにもリンクを貼らせて頂きましたが、やっぱりコンタクトを取るのがちょっと怖くて、未承認だったり……(ぉぃ
 ちなみに、この時の「4Pという規定を〜」というのは、やはり守れずにページ数を増やしてもらった記憶があります。あと、インタビュー(問答)の返答部分を校正のために手を入れろと顧問に言われ、私は「答えてくれた言葉をそのまま伝えたい!」とかほざいて、軽く対立した事もありました。
 あ、それと、この時のインタビューで大嶋啓之氏に薦められた本が、ハインラインの「夏への扉」でした。奇しくもそれは、しばらく経った後にぷぎさんからいただく事になり、今でもお気に入りの一冊となっています。
2000年
9月27日

そろそろアンケートをマジで消します。ホンマにアンケート宛というのが一通もないので・・・。だいたい要望もアンケート
以外の所で(ICQ、チャット、私用メール)言われるので何かつけてるのが虚しくなりました。
(学校から帰宅後)
今日は厄日だね。
--検閲削除--相手に半マジギレ。その場に居合わせた方々のために一応弁解しておくと、って、その他の人は気分が悪くなるので見ないでいいッス(スミマセン)長いよ(笑)

--弁解と、意見を求めるための文章があったのを、後日編集した部分があったけど、さらに削除。もう時効ですよ--

 という事で、かなりマジギレ寸前だったんですね(笑)今でもよく怒鳴ったり殴ったりしなかったもんだと思います。
 上には書いてないけど色々溜め込んできたものがあるんですよ(苦笑)
 「なにかあるたびにいちいち怒る」のがマシなのか、「いつも我慢してリミット越えたら溢れ出す」のがマシなのか……
 どっちがマシなんでしょうかね?私は大体後者なんで、溢れた時が大変です。
 ほんと、不愉快な文載せてスミマセンね。これはやっぱり自分のうちにしまって置きたくないんですよ。
 しまって置いたらまた何時溢れるかわからない(苦笑)

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 9月12日での心労の一翼を担っていた人物との関わりで、限界に来た日でした。といっても、相手にばっかり非があるのではなく、どちらかと言えば私の方にこそ非があります。未熟さゆえの、馬鹿な怒り方でした。
 某人気サイトの管理人が「サイトの管理人が書くものは、自分に不都合な事などない」というような事を書いていた事があったのですが、私は少し違っていて、顔をあわせては(致命的なケンカに発展しそうで)言えないことや、愚痴、人前では恥ずかしくて言えないような思想や夢想などを、サイトで書くという事をモットーにしてきました。
 しかし、今ではそのモットーもなくなってしまいました。やっぱり、顔をあわせて言わないで、文章として見ると傷つくという人もいます。それで私は人を傷つけてきました。色々な人に心配をかけました。だから、今は出来るだけ控えています。それでも書く時は、口に出しては言えず、ここに書かなければ私がその人を嫌いになってしまうと言う時でしょう。
 あとは、文章にすることによって、自分の頭を冷やし、そして冷静になった相手がその文章を見ることによって、「自分の行動で相手がどう思ったのかを受け取って欲しい」という思いで書くこともあります。でも、残念ながら成功した事は一度もなく、さらに傷つけるか、さらにケンカになるか、恨まれるかという結果にしかなりませんでした。

2000年
9月28日
 昨日の日記は長すぎるので短縮。しかし、今日は生徒会長と衝突。昨日のはある程度カタがついたので良いのだが、今日のは尾を引きそうだ…生徒会辞めるかな……。う〜ん、部活よりも生徒会を優先していたんで、昨日の某氏のは某氏にストレスをかけ過ぎた我々生徒会所属の部員に責任が重大だった(無論、両成敗って感じだが)。
 しかし、会長のは部活の原稿やら準備やらが間に合わなくなりそうなので、生徒会室で活動をしていたのを文句の対象にされてしまった。
 我々のが活動しているのは生徒会顧問の先生方も容認していたし、会長も容認していた。それなのに、唐突に(会長の機嫌が悪かったのだが)「関係の無いことをするなら出て行ってくれてかまわない」の一言。
 一応、会長にはメールで一時の感情に流されての発言か、それとも本心からの発言かを問い合わせてはいるが…。
 どうも、腹いせっぽいんですよね(苦笑)
 部活で生徒会室を使っていた理由は簡単なことで、我々が生徒会室外で活動すると、文化祭の準備用品を借りに来た人(生徒会が道具を管理している)が、誰もいなくて困るからである。
 ちなみに、会長と会計は舞台のセッティングと授業であまり部屋に居なく、文化部長は風邪でダウン。
 体育部長は何故かラスベガスへ旅行(笑)、残りの3人は常時欠席(たまに来るけど…)。
 解って頂けると思うが、残りの生徒会メンバー4人は我々新聞部の部員(文化部長もうちの部員だが…)である。
 足りないメンバーの穴を埋めるために自らの部を、昨日ケンカした某氏に任せ(スマン)、ずっと頑張ってきたのに対しそれだ。
 今回、会長が不機嫌な理由は想像がつく。
 昨日帰る前に残った生徒会役員でふざけあっていたら、いままでノリノリだった会長が何故かいきなりキレ(その場に居た全員が、理由が解らなかった)、怒って帰った。そのキレた現場に私と大石(きつね)はいなかったのだが(そのキレる直前に冗談半分で逃げたのだが)、キレた事を知らされ、私と大石は悪ふざけが過ぎたかと思い、謝罪のメールを送った。…が、返信なし。
 その翌日に報復とも取れるこの言動であった。
 以前、「会長としてではなく個人として見てほしい。会長だからとかではなく、一個人として怒る時もある」と、別の役員とのケンカの後に言っていた会長だったのでショックだった…。
 私達は役員としてではなく、生徒会というきっかけで出来た友人達としてふざけ合っていた。
 そして、個人である会長が怒ったので、役員ではなく個人として、友人として私と大石は謝罪した。
 しかし、その謝罪は無視された。その「出て行ってくれてかまわない」発言は生徒会の会議の締めくくりに言われた。
 個人で怒ったものを会長としての発言で発散したとしか思えない……。
 しかも反論も意見も弁解も言えないような場面であった。今もメールの返事は無い………。
 今回の2件でわかったのは、私情を公的な力で行使する人種を私は至極嫌悪する。ということだ。
 「公の力持つ者、公の場に立つならば私を捨てるべし。」だ。逆に「公私別離の精神持つ者良友也。」である。
 さて、あの人はどう動くのか、はたまた動かぬか…。

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 今になっても不可解な出来事でした。
 この時は人間関係でトラブルが起きまくり、かなり精神が磨耗しました。
 ま、私自身が受け流せなかったのが悪いんですが、当時は部も生徒会も、トップの人が若すぎたんだよね。
 所詮高校生なんだから割り切って流したら良かったんだけど、上に立つものとしての姿勢と義務を守れてないのに、権利だけを主張するってのがどうしても許せなくて……。私は、ナンバー1よりもナンバー2という位置が好きで、影でサポートしたり、相手が気づかないような気遣いをするのが、私なりの美学だったんですよ。でも、気づかれないようにってのは、相手が本当に気づかなかったら、私は何もしていないように思われてしまう。当時は私もガキだったので、それでもやっぱり「気づいてほしいなぁ」ってのがあって、そのくせ、“気づかれない気遣いと、目に見える実績の両方”を実行できるわけでもなく……。ま、ガキでバカで、プライドだけは高いっていう嫌な奴でした。
 今はどうかというと…………こればかりは、第三者か、数年後の私に判断してもらわないとわかりません(苦笑)
2000年
10月1日
 文化祭終了!これで更新が出来ますね♪
 しかし、文化祭は大失敗、部紙は大体の記事がミス有り、別冊は印刷枚数のミス、壁新聞は作る時間が無かった人もいて最悪の結果となりました。
 部紙は絶対に完全版作ってやる!!
 やるぜ!って気分です。レッツポジティブシンキング! 前向きに行きましょう!

 生徒会の問題は僕が生徒会を離脱することにしました。
 生徒会長へのメールはどうやら意味をなさなかったようで、完全に無視されました。他の人に話を聞くと、いつもイベント前はあんな感じらしいので、もうほっときます。
 今回のは、人間の本性は極限で現れる良い例になったのではないでしょうか?
 普段はかなり良い人だったんで、ショックは大きかったですが、納得できる面もありましたんでね。
 しかし、部紙の失敗原因を考えていくと、ほぼ全員が体調不良、ページの相談時間のなさ、最終確認の怠り、人員の不足、話し合いの時間の欠乏。以上のことが挙げられます。その内の3つに生徒会が絡むあたり、生徒会に入った選択を間違えた感じは否めません。
 まぁ、生徒会に入って仲良くなった人もいるんで悪いことばかりじゃないけどね。
 でも、体調不良はきついね。昨日は僕の家に5人程集まって、徹夜で作業。しかし、間に合わず…
 更に、体調をより崩した上に、原稿の一部を忘れて文化祭が始まってるのに取りに帰る始末。
 文化祭に来てくださった方には誠に申し訳御座いません。
 あ、沙羅さん。貸してもらった絵、集客効果抜群でした。明日か明後日あたりにお返しします。
 トラさん。何故か先生コンビがザリガニロボをまじまじと見て細部のディティールについて話してましたよ(笑)
 イリア会長。戦国な詩、有難う御座いました。早速ギャラリーに置かせて頂きたいと思います。
 はるみ師匠。やはり師匠です(笑)。ひらがなの効果的な使い方、見習いたいです。
 スプリさん。とても実感のこもった詩、有難う御座います。また、詩送りますね。
 その他にも御協力頂いた皆さん。有難う御座いました。m(_ _)m

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 この時の生徒会長は、今でもまだ顔も見たくないです。
 決別してから判明したのは、本人がかなり自尊心の高い人で、さらに表裏が激しく、人を見下しまくるという人物像でした。既に彼と決別していた、他の生徒会役員や、元生徒会の人からそれらを聞かされた時は、ショックであると共に納得してしまいました。私は会長の「表裏」の表面が結構好きでかなり信頼していたので、元生徒会の人らから決別前に聞かされても信じなかったでしょう。
 ちなみに、生徒会やめてからも、真面目に挨拶しようが明るく挨拶しようが、目が合おうが、エレベーターの中で二人になろうが、徹底してシカトされ続けました。シカトなぁ……そら鬱陶しい時に、会話を流すタイプのシカトは私もしてしまう事がありますが、こういうシカトを出来る人の神経はわかりません。人の辛さや痛みを解らない人か、もしくはガキじゃないとシカトなんぞ出来ないと思います。俺にはムリだ。ほんのちょっと、会話をシカトしただけでも後で凄く後悔して、罪悪感に押しつぶされそうになる。だったら最初からするなって話なんだけどね。バカだったんです、本当に。

 そして文化祭は大失敗。
 最悪でした。
 これは誰かを責めるとかそういうのではなく、全員にそれぞれ責任があり、それぞれ反省しなければいけなかった。ここまで、待っててくれた読者の期待を裏切るのは最初で最後にしたいです。
 でも、光明もあったんですよ。
 それが集客効果バツグンのゲスト作品。
 当時は炸裂会自体が炸裂していたため――って、炸裂会も説明しておいた方がいいのかな? まあ、私のネットの故郷です。フロントミッション3をまったり遊んで、仲良く喋ろうみたいな雰囲気からスタートして、ゲームが好きな社会人や主婦などが、攻略メインではなく、雑談メインでワイワイ集まるBBSが、炸裂会です。残念ながら、今は解散してしまいましたが……。
 その炸裂会の仲間たちとは、オフラインであった事は無いんですが、いつもお世話になっている沙羅さんからは、沙羅さんが描かれた巨大な絵をわざわざ郵送していただき、3D絵師のトラさんからは、3DCGを。会長のイリアさんと副会長のスプリガンさん、そして色々な意味で当時「師匠」と呼ばせていただいていたはるみさんかの三名からは、詩をいただき、展示させてもらいました。
 ぶっちゃけ、我々が作った部紙よりも、こっちの方が評判良かったんじゃないだろうか(笑)
 沙羅さんの絵を廊下から見つけてとりあえず部屋に入ってもらい、トラさんの精巧な3DCGをじっくり見てもらったあとで、会長達の詩をじっくりと味わってもらい……壁新聞は流される、と(ぉぃ
 これで、我々の展示品と配布品がしっかりしてたら、いう事無しだったのになぁ……。 
2000年
10月6日
 今日はゲーセンでビーマニUDXの4thが発売される日やね。ゲーセンのぞいてみようかな?

(夜)
 って、ゲーセン行ってないし(笑)
 しかし、最近学校に――というより授業に出る気がしない(学校で友人と遊んでるだけ)。イカンイカンとは思いつつも……
 なんででしょう?将来に対する指針が定まってないのもあるだろうし、授業の程度の低さってのもあるだろうし、担任に対しての感情が不信から嫌悪に変わったのもあるでしょう。
 何はともあれ、ちゃんと毎日出ないと卒業どころか進級も危ないねぇ(ぉぃ
 明日から真面目に行くぞ!と決意したサボった後の今日の帰り道(笑)

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 ビーマニは置いといて、迷っている時期ですね。
 高校三年の10月、迷ってる場合じゃないけど、いまさら迷っているんですね。
 担任は……バカだったんですよ。アイツは。
 教師としては、教え方は鬱陶しいし、ねちっこかったし、間違いだらけだったけど、教師の心は持っていました。しかし、担任や人間として考えると、落第という人でした。
 なんせ、こいつは修学旅行のときに、空港で男子生徒の8割を置いたまま勝手に進んで行き、しかも男子生徒がいないことに気づかなかったくらいだから。骨折した奴を待っていた我々男子生徒は、そいつの用意が終わった時には周囲に、担任も他のクラスの担任も、慰安気分でついてきた教頭も、女史連中も誰もいないという事実に愕然としましたよ(苦笑) ちなみに、このあと担任は謝るどころか逆ギレしました(笑)
 その辺や、大学受験をする大石きつねへの対応の悪さなどで、私と大石はかなり担任を嫌っていたんですわ。
2000年
10月16日
 自分がこうも単純な人間なのかと思う。
 BBSなどで地元の友人や炸裂会の仲間から感想を貰い小説を書く速度が飛躍的に上がっている。
 このまま完結までとは言わない。しかし、今日中にVIまでは上げてしまいたいとさえ思う。
 批判的な意見や指摘が無いというのはとても嬉しい反面、自分では気付かない直すべき所や食い違い等に気付けないという事もある。また、下手をするとのぼせあがってしまう性質の自分を、文章の先駆者たちと比較することによって自省と自責する事が必須となる(苦笑)。是非、気付いたことの指摘をお願いします。
 無論、好意的な意見はとても励みになります。特に人物に対する個性についてが多いのですが、この物語の雛型は5年前に漫画にするには画力と根性がなく、小説にするには表現力と構成力が足りないことにより断念したまま暖めつづけて来た物を、友人達とのTRPGで一つの物語として表現したことによって、完全に形が定まってきたという流れがあるだけに、人物に対する個性や魅力を感じていただけるのはとても嬉しいです。
 願わくば、タトゥス・トラウムの名付け親であり、人格のモデルでもあり、基本的な核でもある「本家タトゥス」をTRPGにおいて使用していただいふくから「タトゥスをこんなキャラにするな!」という叱責が無いことを……

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 この時は、一番最初のアラニアが簡潔間近で、でも感想が少なかったために自分の書いている方向性であっているのか悩んでいた時期でした。そんなところに、念願の感想を貰い、テンションがごっつい上がった時の日記です(笑)
 また、TRPGでタトゥスを作り、プレイしていた友人から、この日記を見た後に「あれはお前のキャラと思ってくれていい」と言われ、めちゃくちゃ嬉しかったのを覚えています。
 その言葉で調子に乗った私は、タトゥスをもう「人のキャラだから……」とか遠慮せずに、設定にかなりの修正を加えて、「表面上は似てるけど、まったくの別キャラ」という風にしました。おかげで、一番動かしやすく、生き生きと動いてくれるキャラになりました。
2000年
10月21日
 (明け方)寝ます(笑)

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 わけのわからん日記に見えますが、この一言に全てがつまってます(大げさ)
 この日は、私が初めて「小説を書いた日」です。当時書いていたアラニアが完結した日ですね。
 当時一方的に「師匠」と呼んでいたはるみ氏から言われた一言が、凄く私の中に印象付けられていたんですよ。
 これは、この後入った専門でも言われたことなんですが、「何百枚、何千枚書いても、完結しなければそれは小説を書いたとは言わない」。これが当時の私には目からウロコな言葉で、でもこの時のアラニアは、あくまでも全体の中の一つが終わっただけで、物語としては終わっていなかったために、「これで書いたと言っていいのか」と迷いながらの完結でした。いや、その短編小説として「章」は完結してたんですけどね。
 でも、今から考えても(クオリティは低かったけど)かなりの速度で書いてました。下手なりにハイペースで、一週間分を一日で書いたような感じだったと記憶しています。
 書き終わった時の感動はひとしおでした。
 これを味わってしまうと、小説を書くのはやめられないのかもしれませんね(笑)
2000年
10月23日
 はう〜雨だね〜。大阪は今日雨でした。おかげで数学遅刻しちまったよ(ぉぃ
 しかし、政経あと3回休んだらアウトだ(ぉぃ そうなりゃ折角3年で卒業できるようにしてたのに(うちは4年制高校)
 意味がなくなるなぁ……ガンバろ。遅刻もしないようにしないと……しかし、点数低いね政経。一学期の中間46点だよ(ぉぃ
 期末は20点ほど上がってるが……う〜ん明後日からの中間、真面目に勉強するか……一学期休みまくってたしね。
 メールが来ていないかと思いメールチェックをすると……かなり驚きました。
 以前、このHPを作る直前にMOONを制作しているLove de licさんにリンク許可を求めるメールを送っていたのですが、なんとまぁ、お返事がきました(驚)いつでもいいので許可か不許可かの連絡を求めていたのですが、ちゃんと返していただけるとは!ありがたいなぁマジで(嬉)やっぱコ○ミとは違ってラヴな会社ですね〜(ぉぃ
 昨日の日記の「かも」撤回です(笑)かなりコレでやる気出ました、見てなくても作りつづけるぜ!(笑)

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 いや〜、毎度毎度かいてますが、moonはいい作品ですよ。スタッフも凄い楽しそうだし。
 と、この日の日記はそこだけじゃなくて、政経のあと三回休んだらアウトというのがミソです。本来四年で卒業という高校なんだけど、最後の一年分の単位を最初の三年で取っておく事により、三年で卒業するというシステムなんですが、この政経はその「最後の一年分の単位」でして……。まあ余分に単位を先取りしておくというものなので、先取り分の授業は、一日でも落としたら(もしくは一年を平均して赤点だったら)、補講も補習もなしで、即四年制に逆戻り。後三日でアウトと言われた時にゃあ…………焦ったね。そりゃあもう激しく。
2000年
10月25日
 音板にjunoさんのカキコあります。僕もカキコみて少し驚いてたり(笑)
 どうやらjunoさん復活のようですね(嬉)
 と、いうことで、未発表曲はうちではなく、復活したjunoさんのHPでの公開になると思います。
 うちはもう十分軌道に乗りましたので、1ファンとしては、うちで公開するよりも、「復活したjunoさんのページにてjuno&uneの未発表曲を公開!」の方がセンセーショナルで好ましいですし、junoさんによって公開されたほうが曲にとっても良いし、uneさんも安心でしょう。
 なのでjunoさん、そちらの方向でお願いできますか?(ここで聞くなって)

 さて、今日からテストです。
 英語は欠点寸前かな?いっぺんも授業聞いてないし(ぉぃ
 小説書いてました(ぉぃぉぃ
 う〜んT駒先生の授業は聞く気がしない・・・何故かって?
 寒いんです
 ホンマに、“ナカ”ちゅう人が何回授業休んでるか聞いたとき答えたセリフ。
「ナカ君? ナカ君は中々休んでますなぁ〜ゲヘゲヘゲヘ」
 クラス皆沈黙。
「お茶はティーとかチャーとか言われますゲヘゲヘ」
 どこで笑ったら良いんだ?
「え〜質問はありますかありませんねゲヘ」
 何故笑う。
 そんなこんなで授業聞いてません。ってか、ノートもとってません(ぉぃ
 僕、筆記体読めないんですよ。僕だけじゃなく、うちのクラス連中のほとんどは。でもT駒さんは筆記体、しかも汚くて小さい。そして速い。速すぎて皆ついていけないので、各自教科書を写してますが……
 ある日の補食時間(約20分)T駒に聞きました。
「先生、筆記体やめられませんか?」
 彼は答えました。
「う〜ん(略)その方が速いし(略)今更直すのも(略)ねぇ(略)」
 ちなみに略してある部分は何の関係もない事項でそれに費やした時間は20分弱……
 要約すると「その方が書く速度が速いし、今更直すのも嫌だから止めない」
 1分かからんやん。しかも「その方が速いし」って、筆記体解らんし、汚い上に速すぎて解らんから皆黒板写してませんって……
 まぁ、欠点取ったときの言い訳にでもしましょう(ぉぃ

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 懐かしい人です。勝手に「ブリザードT駒」って呼んでましたわ(コラ
 いや、ホントになんで笑うかわからんところで、しかもゲヘゲヘ笑い続けられたら鬱陶しいわ。
2000年
10月29日
 起きたら3時前。
 中々良いねぇ(そうか?)土曜はチャットしてるからいつも日曜はこの時間に起きてしまう。
 さて、小説でも書くか……って、そういやはるみ師匠からメールを頂きました。
 その内容を読んでいると、もっと後に書き直そうと思っていたのが今すぐにでも直したくなってきた。
 沙羅さんもはるみ師匠も言っていたことだけど、「批評や指摘をされる際に腹を立てる人が多い」とまず断っていた。
 私もそれは解るし、現にそういう人が多い。むしろ私もその部類に入る――はずなんですけどね。
 何故か私生活で知り合いに(というか家族に)言われると腹が立つんですが、ネットで言われた場合腹が立ちにくい。
 というか、今回のお二人のは一箇所たりとも腹が立たなかった。う〜んやはり文字と言葉の差なのかもしれないし、尊敬してる人からだからなのかもしれないね。
 でも、友人から指摘されたりしても腹が立たないなぁ……何故だ??
 やっぱりまだ自分が未熟なのが解っているからなのかな? やはりいつまでも人の好意と厚意は素直に受け取りたいね。

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 この時のメールはプリントアウトして保存しています(笑)
 色々アクシデントがあって、メール自体が消えてしまったので、プリントアウトしておいて良かったです。
 いや、ホント、ここまで詳細に良い点と悪い点を、物書きの目で指摘してもらったのは初めてでした。元々はるみ氏を師匠と呼んでいたのは、小説とは関係ない事柄での愛称みたいなのだったんですけど、小説を書き始めてからは、物書きを志す人として「師匠」と呼ぶように変わってました。
 このメールが無ければ、今の私は無かったのは間違いありません。ありがとうございます。
 小説を書き始めた時期に、沙羅の姉御とはるみ師匠という、良い所も悪い所も指摘してくれる方々に読んで貰ったのは、私にとってとても幸運だったとおもいます。
 炸裂会の人からちょくちょく感想は貰ってたんですけど、なぜか炸裂会は「ゲームをゆっくり楽しもう」っていう集まりのはずなのに、クリエイター(プロも、プロを目指している人も)が多くて、感想の中に見える指摘が、すべて新鮮でした。トラさんから指摘されて初めて、自分が読んだ小説に影響され易い事に気づいたし(笑)
 アラニア書き始めの頃は「ロードス島戦記」、「フォーチュン・クエスト」あたりの影響が強く、アラニア改定版の頃は「グイン・サーガ」や「銀河英雄伝説」に影響を受けていたと記憶しています。だから支離滅裂だったというのは恥ずかしい限りです(苦笑)
 この時点から数年経った今では、我侭な事に、小説についての感想では「褒め言葉:欠点指摘の割合は3:7くらいが理想かなぁ」とか考えてます。というのも、褒め言葉が多すぎたら調子に乗っちゃう。でも、欠点指摘ばかりじゃ自信を無くして書けなくなりそう。そこで、この比率だったりしますが、まあ悲しいかな、感想をくれる人はほとんど友達だったり(苦笑)
 友達から感想貰うと気恥ずかしいんだよね(笑) でも、見知らぬ人から感想もらうともっと恥ずかしいんだけど(笑)
 褒めてもらった時は恥ずかしさマックスだけど、やる気も上昇。ダメだしを頂いた時は、反省を経て負けん気でやる気急上昇。面白くても、面白くなくても、とりあえず感想下さればありがたいです。
2000年
10月30日
 さて真剣に卒業後どうするか考えなければ……まず、卒業した場合だが、今の学力から行って大学受験は難しいと思う。
 偏差値の低い所ならば行けるだろうが、行った所で大学でやりたいことなど無いのだからやる気も起こらない。
 それを考えた場合、自分がしたいことを出来る方へ進んだ方が人生のやりがいがあるってもんだ(ぉぃ
 その場合、自分が何をしたいかを考えると、したいことが色々ありすぎて困る。
 絵も描きたいし、小説も詩も書きたい。知識はないが音楽も作ってみたいし、ゲーム関係も作ってみたい(無理)
 雑誌の編集なんかも興味がある。それを考えると大学より専門学校のほうがいいだろう。
 専門学校に行くとすれば何の専門へ行く?今一番身に付けたいものは? ……やはり小説だろうか? しかし、駆け出しの素人が専門学校に行って何をするか、とも思う。専門学校に行こうとしている人々は恐らく僕よりやる気も技術も才能もあるだろう。
 しかし、昔から物語を考えるのが好きだった僕には、やはり何かを創作する方向へ進みたいと思う気持ちが以前からある。
 ゲームのシナリオや、小説などを書いてみたいとも思う。こうなればやはり専門に行った方がいいのだろうか?
 自信も無いし、踏ん切りもつかない。しかし、あまり時間は残されていない。
 ……単位落とそうかな(コラ)
 ゆっくり考える時間が欲しいなぁ……

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 めっちゃ悩んでますね。
 実を言うと、私が小説の方へ進んだのは、この時に小説を書くのが一番楽しかったというだけで決めたようなもんでした。
 一番最初のアラニアが出来た時の感動や、読んで下さった方からの感想、はるみさんから貰ったメール、それらが合わさって、「小説が上手くなりたい!」と思ったんですね。
 正直、表現方法として小説を選んだのは、上記の理由だけでして、この時期じゃなければ絵での表現を選び取っていた可能性が高いです。小学生の頃から私はラクガキが大好きでした。何度か漫画でアラニアを表現しようとして失敗しました。まあ、私が立体的に像を描く事が出来ないというのが大きな要因なんですが……。確かに小説を書くのは楽しいけど、この時は、生まれて初めて小説を書き始めて、たった数ヶ月。小学校の頃から国語が苦手で、未だに「文法って何?」って馬鹿なんで、小説の専門なんか行ってる人には付いていけないと思って尻込んでました。
 専門に進んでから、クラスメイトの口から「漫画が書けないから小説でって奴が〜」という言葉が発されるたびに、私の事を言っているわけじゃないのにドキッとしました事はヒミツです(苦笑)
 まあ、私はクラスメイトに恵まれていたので、自分で言うのもなんですが、専門の二年で成長させてもらったと思います。それはまた、別の機会に。
 この時の悩みようといやぁ、今考えても苦笑するくらい悩んでましたね。
2000年
10月31日
 今日はテスト最終日、JACKと黒い人に会ったので進路の話をする。
 黒い人はまず今年卒業で間違いないだろう。僕は運がよければ今年卒業。JACKは真面目にいったら来年。僕としては、今年の単位落としたら来年無欠席を目指して推薦入試で適当な大学へ。今年卒業できるんなら、某学校の小説コースで小説の基礎をしっかりと身につけたいとは思う。まぁ小説家に簡単になれるはずが無いし、今の段階では将来的にいってもなれないであろうとも思う。昔から話を考えるのが好きだったので、夢と言って過言ではないだろう。小説というジャンルに思い至ったのは、大石とはるみ師匠の影響だが。
 はてさてどうなるのか? 昔からサラリーマンになる気は無かったが、もしなるのなら編集などの方が良い。
 それを考えると小説の専門へ進むのも悪い話ではないだろう。まぁ、進めればの話だが(苦笑)
 しかし、やはり親父と母は、親父の後を継いで欲しそうだ。親父は口にはあまり出さないが……
 けれども、父と同じ道を歩むのはプレッシャーである。
 父は同業者の間では鬼才と言われ、友人からはしばしば天才と言われている治療家だ。子供の頃から見ていても、常人には出来ない判断と、信用の為なら金にこだわらない姿勢は真似しろと言われても無理だろう。
 父の後を継ぐには実力、経験、知識は勿論の事、治療家としての判断力と挑戦心、それらが決定的に足りない。
 何より、僕のような社会に出てない若輩者に滅私奉公しろと言っても無理な話である。
 もし後を継ぐとしても、それはもっと自分の経験を重ね、「したい事」では無く「するべき事」だと感じたときだろう。
 まぁ、それまでは夢を見ていよう。
 しかし、夢さえもあやふやな現状、なかなか滑稽な自分の姿に自嘲の笑みを送ろう。

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 揺れてます揺れてます(笑)
 あと、イタイです(笑)
 「昔からサラリーマンになる気は〜」って、この就職難の時代に何をほざいとるかって感じですな。
 弁解すると、サラリーマンを見下しているのではなく、幼少の頃から自営業の親父の背を見て育ったため、サラリーマンにはならないだろうという確信めいたものがあったっていうので、こういう書き方になっちゃったんですね。
 親父については、今でも大して考え方は変わってませんね。ま、変わったといえば、「父の後を継ぐには実力、経験〜」のあたりが、ただ単純に「本当の意味で『親父の後を継ぐ』のに必要なのは、血ではなくセンスだ」という考えになりましたね。あれは、血縁者だろうが二十年以上その背中を見ていようが、真似をしていてどうにかなるものではなく――そもそも『真似』をしている限り、親父の患者さんに信頼してもらえる治療家にはなれないだろうと思う。
 つまりは、今この時点でも、後を継ぐ可能性は少ないって事なんだ。
2000年
11月6日
 起きたら学校始まる一時間前。
 学校まで45分から50分、用意に15分、食事その他に20分、……間にあわん。
 しかも体が熱っぽくダルイ…風邪? また? うそぉ? ってな具合だったが、いつもは遅刻でも激怒する母が妙に優しい…マジで風邪だねコリャ。
 昨日もTRPGをしたけどソードワールドが終わって、他の皆がTOKYONOVAをやり始めたあたりから、しんどいので3時間ほど寝ていたが、やはり疲れてもいたんだろう。と、いうことで今日はゆっくり自宅療養。単位大丈夫かなぁ(ぉぃ

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 大丈夫じゃないです。全然大丈夫じゃないです。ええから学校行っとけって感じです。
 まあ、遅刻しそうな時や欠席しそうな時に母が優しいって事は、傍目からみても結構ヤバイ感じになってるって事だから、その時休んだのはしょうがないかなって思うけどね。後々困るのよ。
2000年
11月9日
 本日、なかなか面白い事実が判明。

「単位落ちかけ」

 爆笑ですな(ぉぃ
 別に僕は何年でもいいんですが、親がねぇ……いやぁ、JACKと一緒に来年も通おうかね?(コラ
 まあ、休まないように気をつけましょう。しかし休みすぎたな。生徒会やらなんやらで9月を休みまくり、胃腸壊して10月を、そりゃあ危ないわ。

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 ほら大丈夫じゃなかった。
 アホですよこの人。
 高校に入ったときは、親父の親友が「絶対に三年で卒業しいや!」と言い、親父が「何年かかってもいいぞ」と言ってたんだけど、この時には親父の親友が「何年かかってもエエやん」と言い、親父が「三年で卒業せい!」と言っていました。なんだかなぁ。
2000年
11月11日
(10日から寝る前)
 ICQで犬君ヤマダさんと猫トークをかわす。そこでふと、愛猫の事を思い出した。
 春先にふらりと出て行った老猫、猫又まであと少しという長寿だった…。今にして思うとつくづく頭のいい猫だった。
 前の家に住んでいた時、台所にある勝手口と餌置き場の中間に立って微動だにしない。
 そこで、「どうした?出て行くんか?それともメシか?」と質問して初めてにゃあと鳴いて、したい方向に向かう。
 遠くからでも名前を読んだらこちらに来たし、中学時代は縄張り限界まで付いてきたこともあった。
 とことん懐かない猫で、撫でているとゴロゴロと咽をならした後、手をなめてくれたかと思うといきなり噛む。
 そして、手でしっかりと掴み、爪をたててからネコキック。回避不能の強烈なコンボだった。
 臆病で、子猫にさえ負け、自宅の庭でさえ別のネコが平気で入ってくる。人にも怯えるし音にも怯えた。
 それでも、逃げている最中に名前を呼ぶとピタリと止まり、大丈夫だとなだめるとニャアとか細く鳴いてオドオドと近づいてくる。完全に人間の言葉を理解していたとしか思えない行動をとる奇妙な猫だった。
 引っ越してから体調が悪くなり、数週間後、しばし家を開け皆に心配をかけさせる。
 そして、無事戻ってきたかと思い皆が安心しきった頃、再び家を出る。おそらく老猫達にしか許されない旅に出たのだろう。
 最初は飼うことに反対していた父も母も、前の家まで探しに行ったし、姉なんかは死という単語を口に出したら激怒した。
 真剣に探さなかったのは私だけであろう。すでに一度愛猫は心がまえをさせてくれた。それ以前からそんな気はしていた。
 愛猫の寝る背中が物語ってたのだ。絶対に戻ってこないことを確信し、姉に諦めろと冷血な意見を吐く。
 しかし、それでも家の中で愛猫の姿を求めてしまう。明け方、猫の喧嘩の声が聞こえるとつい外まで見に行ってしまう。
 風呂に入ると愛猫が昔のようにドアを開けて水を飲みに来る気がしてしまう。
 解ってはいても死と向き合うことはしたくない。しかし、しなくてはならない。
 否、その存在が身近であればあるほど、それが居ないと気付いたときに痛感させられるのだろう。
 最期を看取ってやれなかった事と、寂しがりやだった愛猫が、独り寂しく旅立ったという事実に悲しさを覚える。
 しかし、皆に心配をかけさせないように気遣ってくれた健気さに哀しさを覚える…
 少しセンチになってしまったがこれでくぐろう。
 夜があけたら気分を一転してちゃんと遊ぼう。それまでは、この気持ちのままで……

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 この日は、友人たちとTRPGをする約束をしていたんですが、寝れずに、愛猫の事を考えていました。
 今でも、猫の声に反応してしまいます。お別れは、言いたかったな。
2000年
11月12日
 昨日TRPGをしたが、設定をいじくりすぎて開始が遅れる。そして、予想外の展開が連続して最後の方はアドリブのみ(苦笑)
 終わったら23時40分。友人の一人、終電へ向けダッシュ! JACK、終電と別れを告げる(ぉぃ
 黒い人、自転車できたのにJACKに道連れ(笑)結果約二名お泊りに〜。裏の公園で寝てもらおうかと思ったが抵抗されたのでやめました(チッ)、コンビニに行った後、色々とトークをし朝の7時くらいまで話をしていましたが……意識消滅。
 目がさめると13時。謎のイラストを残してJACKと黒いの帰宅(笑)
 悪いことをしたなぁ……と思いながら15時まで起きていたけど再び意識混濁。目がさめると22時(ぉぃ
 今日は良く寝た(笑)まぁ、一昨日ほとんど徹夜に近かったからねぃ……

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 いや、この時はほんとスマンかった。寝たまま友達を送り出すとは……。とか言いながら、この後にもまたやっちゃった気がする……(ぉ
2000年
11月15日
 日が出る頃にに寝た。目がさめたら日が沈みかけてた。…………あれ?
 って、事で寝坊してスポーツ大会すっぽかし(コラ)
 流石に小説とFSSを二日で読破なんてしてると時間が過ぎるのが速い。
 起きてからは真面目に小説の改訂をしていましたが、一話の1だけでも出るわ出るわミスの数(笑)
 続きも書かなきゃいけないんですけどね。

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 スポーツ大会すっぽかしかぁ……ウフフ、アハハ、アハハハハハハ……
 (*´∀`)σ)д`)
2000年
11月16日
 いやぁ、うちの先生オモロイ人多いわやっぱ。女の先生が、入ってくるなりものすごく嬉しそうな顔。
 にこやかに「良いお知らせがあるで〜」ってなノリで授業開始。すごく嬉しそうだから何があるのかと思うと、「来月試験をします」……ぉぃ
 うちの学校通常は前半後半の2回のテストなんですが、後半テストは2月。
 皆がえ〜ってな感じになると「ほら、年明けると授業の内容忘れるやん?」とのこと。そうかなぁと思った瞬間、
「私が」
 あんた教師やろ。
 その他にも後ろの席にコメディアン3人組がいまして、そのうちの2人が喋っていると
「そこのトリオ! しゃ〜べ〜ら〜な〜い〜」
 すぐさま喋ってなかった奴が「俺も!?」と、所々から「トリオ?」との声。
 しかもそのあと
「どこまで喋ったか忘れたやんか」
 ……ぉぃ。
 そんなこんなで授業をこなし、帰りに何人かでラーメン食って帰ってきたらすでにテレホタイム。
 むぅ……学校行くために家を出てから帰ってくるまで11時間強。……しんどい(笑)

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 変な先生でした。
 それよりも、学校行くために家を出てから帰ってくるまで11時間強って……家に帰ってきたのは夜の11時を回っていたという事ですな。…………ま、こんなもんですわ。
2000年
11月17日
 昨日、沙羅さんから荷物が届く。開けてみるとそこには本がたくさん(喜)創竜伝12巻! …い、一巻から買えと?
 吸血鬼ハンターD。し、新章突入? 魔界都市ブルース、新展開……って、続き物?(焦)
 やはり一巻から買ったほうがいいのだろうか? それともこのまま読んでもいいのだろうか?
 勿論、続き物じゃないものも銀英伝の全巻突撃の1,2,3巻セットとか、田中芳樹の夏の魔術とか(嬉)
 読む本が一気に増えたおかげで読書が進む進む。
 島田荘司の「完全改訂版異邦の騎士」と深沢美潮の「デュアンサーク7氷雪のオパール上巻」を一気に読んで、気がつくと夜が明けている。(ぉぃ
 寝な!と思い睡眠、後、後悔。
 学校間に合わねい…はぁ〜またやっちゃった〜(泣)
 教訓:読書は深夜3時まで。
 ちなみに現在(日が変わってしまっているが)夏の魔術を読んでいる。
 かなり面白いッス。沙羅さんありがとう♪

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 夏の魔術は面白かったです。去年あたりになって、ようやく完結編が出ましたね。
 吸血鬼ハンターDシリーズは、これから集め始めました。魔界都市ブルースと双竜伝は、まだ揃えていません(汗)
 あ〜、しかしこの日も寝坊かよ。
2000年
11月18日
 真剣に単位を落としている気がする。むぅ・・・・うちの学校システム訳解らん上に、僕が通っているタイプ(一年から四年まで通うタイプ。JACKは大学と同じく、単位を自分で調節して授業を組むタイプ)は今年から留年とかの基準が変更になったんだよねぇ……落としてると思うなぁ……来年も3年生かな?(ぉぃ
 運がよければ卒業、ほどよく運がよければ4年に進級(笑)う〜ん一教科の欠席日数が1日オーバーで留年ってことになる気がする……まぁ、はっきり落としたと解るまでは頑張ってみましょう。
 今、一番考えてるのが文章・出版系の学校に通いながら高校の4年目(泣)を過ごそうかと思ってるんですが、その場合、その学校が14〜17時、高校が17時半〜21時……課題とか考えるとバイトする時間が無い気がする…
 どうしようか?ねぇホンマ…

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 相変わらず迷ってます。
 この時期になると、単位の足りなさが本当にヤバイところにきてまして、一度の遅刻まで考えて行動しなきゃダメだったはず。
 ちなみに、ここで書いてある「文章・出版系の〜」ってのには進んだんですが、今から考えると、無謀なこと考えてましたね。この両立は不可能だったと思います。
2000年
11月20日
 つ、疲れた〜。はぅ〜サッカーキツイっての。雨が降ったので体育館のバスケのハーフコートでサッカー(ぉぃ
 前後左右何処に出ても(むしろ壁だが…)ゲーム続行、つまり壁に当てて跳ね返ってきた所を狙ってもOK
 1チーム4人(ぉぃ つまりロスタイムも無い=一秒たりともゲームが止まらない。死ぬっての(笑)
 とことんディフェンスに徹した結果、うちのチームの優勝! 嬉しいがそれ以上に疲れた……
 帰ってきてニュースを見ると…おい、何で加藤・山崎が欠席しとんねん…名誉ある撤退?
 名誉なんぞと国政とどちらが大事やねん。むしろ名誉も何もねぇよ。
 小泉純一郎が森派筆頭ごときに甘んじてるのも腹が立つのに、不信任案も否決か?
 おいおい何やそりゃ…森も何ニヤケとんねん、ホンマに何じゃそりゃって感じやなぁ……・
 まぁ、まだ終わったわけじゃないので(現時刻22:59)続きに期待しようかねぇ…

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 この政治ネタは何を指していたんだろうなぁ。あれかな、加藤の乱とか呼ばれた奴かな?
 この時には、まさか小泉純一郎が総理になるとは思って無かったよ。実は中学校時代から小泉には注目して、期待したんですよ。総理になった時は嬉しかったなぁ〜。……なった時はね。
2000年
11月22日
 うちのクラスには嫌われ者が居る。
 自己中心的で妄信的、傲慢にして協調性を持とうとしない。そのくせして何も出来ない。
 何でも人のせいにし、人のために動こうとはしない。自分が悪くてもその非を認めず相手のせいにする。周りに気を使わず、他人に迷惑をかけているとも思わない。注意したら逆切れをする。そんな奴だ。
 精神異常者と健常者(健常者という言葉は嫌いだが…)の境目に位置する精神をもち(むしろ異常者に近かった)、ストーカー寸前の行為でクラスメイトを何人かノイローゼ寸前まで追い込んだ。そんな奴である。いや、そんな奴であった。
 今日、うちのクソ担任が20分も送れて授業にやってきた。
 何故遅れたのかと生徒が聞くと「ちょっと事情がありまして」とだけ言って、「何の事情?」という質問を無視し、謝りもせずに淡々と授業を開始した。
 いつもと何も変わらない、くだらない授業。
 生徒達が遅刻の説明を求めてもいつものとおり、自分に不利な質問なので無視をしていた。
 授業が終わる寸前彼は言った。その嫌われ者が死んだ、と。2日前のことらしい。
 それだけを言うと「心の中で手を合わせてあげてください」と言い、さっさと教室を出て行った。
 実の所、最近そいつの傍若無人な以上ぶりがとても目に付いていた。
 大石きつねのメガネを割り、危うく失明かというような事をしたのもそいつであった。
 その件を話すと長くなるので省くが、そいつは最近いつもに増して異常な発言が多かった。
 突然の死である。
 「亡くなった」という言葉はあえて使わない。彼は死んだ。私も他の者に漏れず奴が嫌いだった。
 一年の時、奴の異常な被害妄想であらぬ疑いをかけられ、職員室まで呼び出され、奴に犯罪者呼ばわりされたことがあった。
 それは当時の担任だった先生が「彼の言ってる事はおかしい」といってくれ、無罪を証明できた。が、彼は謝らなかった。
 僕の親しい友人もストーカーのような行動により、ノイローゼ寸前まで追い込まれたこともあったし、色々なことで衝突もあった。彼が嫌いなのは今でも変わらない。
 しかし、だ。彼の死を淡々と聞かされたとき、私は悲しいとも嬉しいとも何とも思わなかった。
 ただ何故か口元がにやけてしまう。そんな自分に驚いた。
 何の感慨も無かったが、その「人が死んだのに感慨が無い」という状況に感慨をいだいてしまった。
 自分は冷酷なのだろうか? 個人を嫌悪する感情は故人をも嫌悪してしまうのだろうか?
 今をもっても悲しくはないし、惜しい人をなくしたなど微塵も思わない。何の感情も無い。
 ただ、これからの学校生活で、あいつによってクラス中の雰囲気が悪くなったり、授業が止められたりすることが無いのか。と思うと、…………正直、嬉しいのだ。
 彼の死で泣いた者は、クラスでたった一人だった。ノイローゼ寸前まで追い込まれた奴は、悲しんでいたかどうかは解らないが、あきらかにマイナスの感情を持っていた。僕のようにプラスのベクトルに属する、「嬉しい」などという感情と違い、ただしっかりとその事実を受け止めようとしているようにも思えた。そいつは同い年と思えないほど大人びている、とても気持ちの良い男で、過去にされた事を引きずっていない、そんな友人だ。
 ただ一人泣いた人も、ストーカーまがいの被害を受けていた。しかし、彼女は現代の同年代の中では天然記念物級の優しい性格の人なのでその気持ちも解らなくも無い。
 クラスメイトに聞いてみても、みな驚きと衝撃以外の感情は、……嬉しいというものだった。
 これが僕だったのならどうだったのだろう?と、考えずにはいられない。
 こんな死のかたちもあるという事を、初めて知った。そんな気がする。
 自分が死んだときに何人の人が泣いてくれるかで人生の功績が解る。とはよく言ったものだと思う。本当に……

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 あえて、ノーコメントにします。
2000年
11月27日
 う〜ん、なんか最近忙しい…更新がちょっと止まっちゃいましたねぇ…スミマセン。
 さて、今日うちのクソ担任が授業を潰して先日死んだ生徒に対する説明を行いました。まぁそこまではいいでしょう。問題は中身です。中身がつまってない意見をごたごた並べられても鬱陶しいだけです。しかも「私は…」「私が…」と自分の体験や意見ばかり、しかも内容はあまり関係が無い。何が言いたかったのかさっぱりわからんうえ、先日遅れてきたときに事情の説明を求めた生徒が居ましたが、それに対する言葉なのでしょうが、「理由があったら遅れていいのかと言ったり、マンガを読んでいた人がいましたが、人でなしです」とのお言葉。
 恐らくマンガを読んでいた奴は、20分も遅刻しても説明をしない担任に対し授業放棄をしたんでしょう。それに事情があったら遅れていいのかという質問はみんなの意見を代弁しただけのこと、その意見に対し反発がありましたが悪びれた様子は無かったです。それに「彼のお父さんの話を聞いたら皆も彼に対する見方が変わるでしょう」と何度も言いながら、その話の内容とやらを一言も話さず、「皆は彼を誤解している」と言いながらも、その誤解を解こうとしない。アンタ一体何がしたかったんだ?と、問いたくなる授業でした。

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 生徒と担任の間に凄く険悪な関係が築かれました。
2000年
12月11日
 学校からの帰り道、FIREの深煎りビターをホットで飲みながらFenLileさんの『chaotic_city_xxxx』をMDで聞きながら歩く。
 寒い夜の帰り道にふと空を見ながらセンチメンタルな気分になる。
 ちょっとした事だけど、とてもいい時間な気がする。こんな時間を忘れずにいたいものだ。

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 こんな時間を忘れてるなぁ……。
 FenLileさんとはBMSで曲を作っている人ですが、この時すでに活動をしておらず、サイトもBBS以外は停止していました。ちょっと前にfenと名前を変えて復活しましたが、ちょくちょく顔出させてもらってます。
2000年
12月15日
 最近気付いたが、缶コーヒーの味は明確に違う。FIREは全体的に苦めで、私好み。
 つづりをわすれたが、ルーツも苦味がいい感じである。ばななふぃっしゅはBOSS7が好きだそうだが、確かにアレも美味い。BOSS7とBOSS#を飲んだときは思わず「おいしい」といった記憶がある。
 BOSSは何故か10円高いリミテッドもいい味である。
 WONDAはカフェオレが甘すぎていい感じだ(笑) 結構好きだが、他のWONDAは不味い。うちのクラスでも評判の不味さ(ぉぃ
 最近一番のお気に入りはUCCのブラック無糖だ。
 FIREの原種豆ブラックもおいしいのだが、やはりUCCのブラックには勝てない。あれはいい味だ。
 コーヒーばっかり飲んでると、元々弱い胃がさらに弱るが、美味いのだからしょうがない(コラ
 紅茶の違いもわかるようになりたいのだが、いまいち市販の缶紅茶やペットボトルは味の区別がつかない。
 ただいえるのは最近見ないが、ただ「アールグレイ紅茶」とだけ書かれた紫のペットボトルのは気に入っていた。
 また売ってないかなぁ……

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 この当時は月に30本ペースで缶コーヒーを飲んでた気がする……。
 私はUCCのブラックか、もしくはプレミアムブラックが好きなんですけど、後に友人から「UCCのは水っぽくてマズイ」と言われ、それで気づいた事があります。
 私が缶コーヒーに求めているのは、本格的な味や飲みごたえではなく、「手軽にコーヒーの感じが味わえる」「コーヒーが飲みたいけど、本格的なのは飲みたくない」という点で缶コーヒーを買っているようです。
 結構本格的なコーヒーに近づけようと作ってある「FIRE」や「Roots」が好きなのは、たぶん「手軽に〜」というのと、コーヒーが飲みたいという欲求の間にピッタリはまるからな気がします。後は、安定して飲める味かな。
 ちなみに、私が飲食料のレビューをやめる切っ掛けになったのは、その友人からの発言で「あ、飲食料だと、個人の嗜好がまったく逆に感じることが当たり前になるんや」ということに気づいたからでした。
 小説のレビューなら、うちのサイト見てる人だと自然と私がどんな小説を面白いと思うかっていうのが、ある程度想像ついているだろうという前提があるし、立ち読みでの確認もできる。わざわざ買ったり読んだりする目的で本屋で探す必要がある。対して、缶コーヒーだと、どこでも売っている上に安いので、「あ、Crymsonがこれおいしいって書いてたな」と、気軽に買えてしまうので、その分、その人の嗜好に合わずに嫌な気分にさせる可能性が高い。
 これが怖くて、廃止しちゃいました。何よりも、元々私は貧乏舌で利き缶コーヒーと利きスポーツドリンクは出来るけど、他の味にはまったく疎いというのがデカイ理由です(苦笑)
2000年
12月16日
 昨日書いた影響か、ルーツの粉コーヒーを買ってしまった(笑) 何買っとんねんオレ。
 コーヒーメーカーで作らないといけないけれども、コーヒーメーカーを使うのならば、もっと美味しい珈琲が家にはわんさかあったり……意味ねぇ……

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 ホントに意味無かったです。
 まずいとは言わないけど、コーヒーメーカーでわざわざ作るほどじゃないんですよね。缶コーヒーは、メーカーが決めた分量のミルクと砂糖の分量があって初めて、その缶コーヒーの味になるんです。粉から作るんだったら、家にあるコーヒーで作った方が美味いのは自明の理。アホでした(泣)
2000年
12月17日
 朝早くからだいふくに拉致されたような状況でバトルロワイアルの映画を見に行かされる。
 本来、JACKと行く予定だったのでかなり狼狽。9時代に向こうにつくものの、何故か朝っぱらから行列……? 何??
 訳がわからぬまま入場――するまえに「スミマセンが荷物のチェックをさせていただきます」と係員。「はぁ?」なんだそりゃ?
 鞄をチェックされるも「何がチェック対象なんですか?」と聞いたところ「カメラです」……持っとるがなオレ。
 「あ、もってますよ」とあっさり渡して入場。本来、帰り道に風景でもとって素材に使おうと思って持ってきていたデジカメを預け、中に入ってまた愕然。満員やん。とまでは行かないが8割は入っていた。
 そして、入る直前に聞かされた事実が現実になった。
「ただいまから舞台挨拶を行います」
 …………マジで?
 監督や、名前は知らないものの恐らく相馬さん役の人、前田亜紀に山本太郎。テープだけで北野たけし。
 おもろい人々だった。(内容は……書きません(笑) リクエストがあったら書くので聞きたかったらどっかでリクして。ただし、内容は若干異なるかもしれませんが……ま、人間なので一言一句なんぞ覚えてませんって)
 映画自体は原作とはまったく違った印象を与える作品でちゃんと面白かったように感じる。
 ただし、原作を知らないと面白くないかも知れない事はいっておく。でも知ってると面白いねぇ……
 そうか、それでたけしを使ったのか……って感じの作品です(何)
 山本太郎も中学生役はきついと思ったけど3歳年上の設定のおかげで違和感は少なかった。あと桐嶋君だっけ? 怖すぎ(笑)

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 いまさら思い出したが、相馬光子役って柴崎コウだよオイ(笑)
 バトロワの映画は最初、だいふくたちと見に行く予定だったのが、あまりにも早くから約束してしまったために、まったく話題に上らなくなり、映画が公開される寸前になっても話がなかったから流れたと思ってたんですよね。
 こういう舞台挨拶は初めてだったけど、おもしろかったですわ。
2000年
12月21日
 今日は不思議な日だ(笑)、サイト「キャラクター」管理人のJACKと、サイト「山田」管理人の犬君ヤマダさん、友人の黒い人とバトルロワイアルを見に行く。映画を見た後、ゲーセンなどにうねり歩くが、どうも犬君さんに悪い気がしてならない。
 黒い人は「ゲーセン嫌〜」などとほざくものの、私とJACKで爽やかにシカト(ぉぃ
 しかし、犬君さんは黙ってついて来るのみなので、つまらない思いをさせたかもしれない。反省。だが、じっと北斗の拳をやりたそうに眺めている姿は微笑ましく印象的だった(笑)
 犬君殿とは、初めて会ったのだが中々愉快で個性的な人でした。機会があればまた。

 しかしながら私が今抱えている問題は大きい。
 部屋が片付かない……
 ちなみに明日がゴミの日である。……どうしましょ?(片付けろ)
 困ったものだ…
 さて! 気合を入れて!……サボろうか(ぉぃ
 あぅ〜片付かねぇ〜〜

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 そう、ほんの四日前に見に行った映画を再び見に行ったのですよ。
 だいふくたちから話が無かったから、流れたと思ってこっちの約束をしちゃったのさ(泣)
 この当時、JACKと黒い人と私はいつもつるんでいて、これ以前から、JACKとヤマダさんと黒い人は同じ部活。私はサイトを通じて間接的にヤマダさんを知っているというだけだったので、オフで会うのはこれが初めてだったはず。
 四人とも個性的なんだけど――いや、私を除いて個性的だけど(コラ)、ヤマダさんは強烈でしたね。サイトとかICQとかのテンションとオフでのテンションの差が凄かったんだけど、でも確かに同一人物だなぁという、ネットで知っている人とオフであう楽しさみたいなのがちょっと解りました(笑)
 ゲーセンについては、大体私は行ったら後悔しますね。地元の友人であるだいふくたちと行くと「金使いすぎた……」ってなるし、JACKやヤマダさんと行くと、「付き合わせてもうた……」ってなるし(苦笑)
 黒い人はもともとゲーセン嫌いだけど、無理やり付き合わせても特に罪悪感はないんだけどなぁ(マテ
2000年
12月26日
 最近思うのだが「21世紀」とよく騒がれる。しかし、だ。そんなもんより「ミレニアム」の方が単位がでかいだろう。
 小学生の頃から「ミレニアム」という単語には独特の憧れがあった。んが、しかし、今の日本人の阿呆な事阿呆な事…
 何かあったら「ミレニアム」、何か売るには「ミレニアム」、…とことん恥ずかしくなってくる。
 わけ解らん事を極めたのは、大阪堺市にある新金岡のサティの売り文句である。
『20世紀最後のミレニアムクリスマス!』
 …………阿呆。
 20世紀最後も何も「世紀」は「百年紀」だが、「ミレニアム」は「千年紀」である。
 言うなら『ミレニアム最初のメモリアルクリスマス!』もしくは『20世紀最後のクリスマス!』だろう。
 毎年毎年ミレニアムクリスマスがあるかっての。
 流行り廃りに流される馬鹿のいい例だ。阿呆というか馬鹿というか……。
 世紀、つまり百年紀は運がよければ2つくらいまたぐ事ができるだろう。千年紀の移り変わりというものは、我々しか迎える事の出来ない重要な時期である。 我々の曽祖父にも曾孫にも不可能なのだ。
 それを馬鹿な企業がミレニアムというものを商品の宣伝にカップリングし始める。
 それに踊らされる奴が出てくる。しまいには今のような「ミレニアム」と口に出した瞬間、流行に流されたような気分になってしまう。
 この日本の体質はどうにかならんのかね……
 以上、愚痴的コラムでした。(ぉぃ日記は?

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 本当にバカな売り文句だったなぁ。
 この当時で言われていたミレニアムは「千年紀の始まり」という意味だったと思うんだけど、それならやっぱり「二十世紀最後のミレニアムクリスマス!」っておかしいよな。そもそもミレニアムクリスマスってなんだ。
 結構過敏に反発していたと思うけど、これは私がアラニアの章題に「千年紀の終焉」というのを予定していたからっていうのも、ちょっとあるんですよね(苦笑)