世界最高の英雄というものが、もし存在するのならば、それは彼のことだろう。 ラカン・サガ。 ミグ王国に生まれ、秀でた知性、恵まれた体格、天賦の才、そして何よりも、高潔な精神を持ったその男は、誰から見ても完璧だった。十歳の時、既に彼の噂は国中に広まっていた。慈愛に満ち、人道を説くその男は、十七の時にミグ最高の剣士となった。二十にして世界へ旅立ち、二十五の時に、噂だけがミグへと舞い戻った。 東の大陸ウェイティルの三強国が二つ、竜を信仰するドラグナイツ帝国と、皇帝を神と崇めるフィブ神聖帝国の衝突は、もはや避けられないとされていた。しかしミグの人々の耳に届いた噂とは、その二国に彼が一時の講和をもたらしたというものだった。その一件により、彼はドラグナイツの竜族の王、神竜から盟友と呼ばれ、フィブの神聖皇帝より客人として招かれた。 以降、彼の雷名はアラニア中に響き渡る。竜の背に乗った高潔な剣士は、世界中を飛び回り、立ち寄った先の人々を助けた。彼の噂はどんどん広がり、いつしか人々から《聖竜の騎士》と呼ばれるようになっていた。 二十七歳になった彼に、アヴァロニアの十聖騎士会議から声がかかる。再び彼の噂だけがミグへと舞い戻った。 ラカン・サガ、十聖騎士入りを辞退。 その報より少し遅れて、彼は旅先で得た妻子を伴ってミグへと戻った。 ミグ王国は彼に親衛騎団長の座を空けて迎え入れた。だが彼が選んだのは、一兵士という身分だった。ラカン・サガは子を育て、人々と共に笑いながら、ミグの町を守る兵士として一年を暮らした。 ミグ王国騎士団長、エイグス・ラン・ディム・ウェン・ルークは彼を騎士団に誘った。彼は旧知の友の頼みを断れず、騎士団へと入る。 数年の月日が経ち、騎士団長ルークはその座を退く。彼に頼まれたラカン・サガは、仕方なく騎士団長の座を譲り受ける。この時のミグは輝いていたと、後の人々は言う。《風のエイグス》、《聖竜の騎士ラカン》の両英雄に、ラカンの親友でもあるジークフリード・ウェン・ガイアを加えて、ミグは三本の剣と称される英傑達を抱えていた。 その剣が折れたのは、今から二年前、輝暦二九七三年の事だった。 ラカン・サガ、暗殺。 その場に居合わせた少年の名を、カーズという。三本の剣の一人、エイグスの末子であった。 それから二年、輝暦二九七五年雪兎の月、少年は十歳になり、ミグにいた。
枯葉が石畳の上で踊っていた。 かさかさと歌いながら、死んだ木の葉が不気味に踊る。 ミグ王国首都ミグ・ラムの街路樹は、来る春に向けて葉を散らしていた。冷たい風が吹いた。 既に陽は落ちた。だが夜ではない。昼と夜の隙間を、黒い影が歩いていた。まだ小さな影だ。 風が吹く。街路樹が寒さに震える。木の葉が散る。小さな影は、足元に舞い落ちた枯葉を立ち止まって見つめた。ゆるりと足を上げ、踏み潰す。パリッと乾いた悲鳴を上げて、枯葉は砕けた。カーズは枯葉から視線を外すと、また歩き始めた。 冬が近い。 少年は石で組み上げられた灰色の町並みを歩いた。ぽっかりと穴を開けたように、町並みが途切れる。建物の間に公園が挟まれていた。いや、正確には公園ではない。芝生と、少し土が盛り上がった丘、その頂上には一枚の石盤。少年はその石盤の前へ進んだ。 「先生」 感情の凍った声でそう呟く。石盤にはラカン・サガと刻まれていた。墓標だ。 「先生……」 再度呟く。墓標の周囲には沢山の花が供えられている。英雄が死んでもう二年も経つというのに、今でもこの墓所を訪れる人は絶えないようだ。 通りの石畳に足音が響く。カーズは振り返らなかった。足音は、《聖竜の墓所》の前で止まった。 「カーズ……か?」 聞き覚えのある声だった。少年はゆっくりと振り返った。見知った顔がそこにいた。 「エッジ?」 足音の主は、カーズよりも三つ四つほど年上の少年だった。白に近い銀髪は見間違うはずがない。ミグ人にはこのような髪は少ない。彼の色は移民の証であった。 彼が墓所へと入ってきた。エッジは旅装だった。 「二年ぶりだよな? ミグに帰っていたのか……いつだ?」 「四ヶ月ちょっと前に」 「そうか」 会話が途切れる。エッジは元々口数の少ない少年だった。かつては明るかったカーズも、今は寡黙になってしまった。会話は続かない。 二人は、かつてラカン・サガに剣を教わる兄弟弟子だった。このミグには、自称ラカンの弟子が三十人近くいる。だが、真面目に剣を教わり、ラカン自身が弟子と呼んだのは十人に足らない。二人は、その若干名に入っていた。 「兄さんが……」 カーズが静かに口を開く。エッジは、年下の少年がよく兄を自慢していたのを思い起こした。 「旅に出たんだ。四ヶ月くらい前に。だから」 兄ケッタルスが旅に出た直後、カーズは父に連れられてミグへと舞い戻った。少年は嫌がったが、仕方がなかった。 「エッジはどこかに行くの?」 「ああ。ミグを出る」 エッジは元々移民の子である。移民とは言っても、彼の両親は隣国であり敵国でもあるナギ王国の名家の出身だった。亡命してきたのだ。 南の大陸アークランドには、ミグ王国とその友好国であるジン王国、敵対国であるナギ王国と、中立国であるライ王国の四ヶ国しか存在しない。ミグから出るとは言っても、陸路で行けるのはジンだけである。ライに向かうには、亡命してきたナギを横断しなければならない。 「出る? 出てどこに行くの?」 「さあ、どこに行けるのかな。まだ決めてないし、どうせ決めても叶いっこない。解らないよ」 その言葉にカーズは首をかしげた。 「エッジ一人で国を出るの? お父さん達は?」 「死んだよ」 銀髪の少年は、表情を変えずにそう言った。 「殺された。俺だけだよ、助かったのは。二人ともナギの暗殺者にやられた」 カーズの顔が強張る。 ナギの暗殺者。閉ざそうとした記憶が引きずり出される。雨の音、稲光、それに照らされる黒髪の暗殺者、血だまりに倒れこむラカン・サガ、震える足、血にまみれた剣。 「カーズ」 エッジの声に、カーズは我に返る。見開いた目に、汗が流れ込む。 「……すまない、お前は先生が殺されたところを見たんだったな」 カーズは首を振ってから、大丈夫だと答えた。 「父上も母上も殺されたのに、ミグは動いてくれなかった。いや……」 それだけではないだろう。ミグとナギの争いの歴史は、両国が同じ国だった古代王国の時代にまでさかのぼる。エッジのようなナギからの移民は珍しく、彼らの一家は差別を受けていた。 なまじ亡命前の身分が高かったために、ミグにおいても彼ら一家は平均以上の暮らしをしていた。だが貴族位は貰えず、しかし平民にしては扱いが良すぎるという事に加えて、敵国の民である。ミグの人々は彼ら家族にいい顔をしなかった。 「お前は先生が殺されたところを見たんだよな?」 確認するようにカーズを見るエッジの瞳は、妙な光を含んでいた。 「見たのならお前にも解るはずだ。俺の気持ちが、解るはずだ……」 黒髪の少年は答えない。エッジは彼の返答を必要としなかった。 「あの無力感、あの恐怖、あの悲しさ、あの不安、あの………………渇望」 エッジは目を閉じる。カーズは目を伏せている。お互いの瞳は交差しない。 エッジが目を開ける。強い眼差しでカーズを見つめながら、エッジは問う。 「解るだろう? お前も俺と同じものを見たんだ、お前なら……解るだろう?」 目を伏せたまま、カーズが呟く。それは「解る」と答えたように見えたが、声は小さすぎてエッジの耳に届かなかった。 「解るだろう?」 エッジが明確な答えを求める。 カーズは顔を上げた。一瞬、エッジと目が合う。カーズは少しだけ視線をそらした。 「…………解らない、解らないよ」 泣きそうな顔でそう答える。エッジは裏切られたような表情でカーズの顔を見つめた。カーズはその視線に耐えられなかったのか、また目を伏せた。 エッジはしばらくカーズを見ていたが、諦めたようにため息をついた。 「この国は仇を討ってくれない。だから俺は行くよ、仇を取るために。俺の代わりに仇を討ってくれる国か、俺にその力を与えてくれる国に……」 別離の言葉にカーズが顔を上げる。視線がぶつかる。エッジの目は冷たく輝いていた。その灰色の輝きを、カーズは惹き込まれるように見つめた。風が吹いた。先ほどのように冷たいとは感じなかった。 「最後に、先生に挨拶をしようと思ってここに来たんだ。お前と会えて良かったよ」 エッジはそう言って微笑んだ。顔は笑っていたが、目の奥には氷のような冷たさが潜んでいる、カーズにはそれが解った。 「今度会う時は……」 カーズが泣きそうな顔のままで呟く。また風が吹いた。 「あったかいといいなぁ」 その言葉に、エッジは微笑んだまま視線を外した。 「無理だ」 呟いて、エッジは友人に背を向けた。 「無理だよ。心が凍ってるんだから、あったかいなんて感じられないよ」 去って行く友人の背にカーズは何も言えなかった。 師の墓所から去ろうとするエッジが、ラカンの墓前に立つカーズを振り返る。咄嗟にカーズは顔を伏せた。 お互いの瞳を交差させないまま、二人は呟いた。 「俺達の心は、凍っている……」 「本当に、あったかいといいなぁ……」 どちらがどちらを呟いたのかは、風の音に消されて解らなかった。 エッジ・アイシクル・サンフリートは前を向くと、聖竜の墓所から、ミグから、姿を消した。 † カルザード・ライオットは二本の木剣を持って川原を歩いていた。彼は友人を探していた。 昨夜、彼は旧友エッジを送り出した。その際にエッジから、二年前に姿を消した友人が帰っていると聞かされた。友人の名はカーズ・リム・ダグス。大貴族エイグスの息子である。 カルザードには友人が少ない。友人の名を挙げる時、片手で事足りる程だ。剣術の師であるラカン・サガの息子シオンに、昨日旅立ったエッジ、帰ってきたというカーズ。たった三人である。 彼は、自分は悪い人間ではないと確信している。数少ない友人達もそれは認めるだろう。 自分の周りに壁があると感じたのは、今から五年前、彼がまだ八歳だった時だ。その理由は、朝起きて顔を洗うたびに確認できる。目の色だ。カルザードは左右の目の色が違っていた。 ミグは古い国である。そのためか、迷信深く、凶兆を持つものを排除する傾向がある。他の国からは文明国であり、文化国であり、優れた気風の大国だと思われているようだが、カルザードのような被差別民からすれば、それはまったくの誤解だった。カルザードはミグが好きではなかった。 彼を普通に扱ってくれる人は何人もいる。彼が育った孤児院の世話役や後輩達、彼が住みこみで働いている陶器工の親爺、周りの店の人々や一部の客などがそうである。だが彼には解る。心の奥底から目の色をまったく気にしていない者は、三人の友人以外にいないと。だからこそ、彼は三人を友人と呼んでいるのだ。 考えれば考えるほど不思議な友人達だとカルザードは思う。敵国からの移民として差別を受けていたエッジ。ミグ最高の英雄の遺児シオン。忌み眼と嫌われる自分。ミグ貴族の子息カーズ。普通ならば相容れないであろう四人が、一番信頼しあえる仲間なのだから。 しかしその仲間も崩壊しかけている。 エッジは昨年両親を殺されてから変わってしまった。ぞっとするような目をする事が多くなった。 彼が旅に出ると聞いた時、カルザードは安堵してしまった。カルザードは最近のエッジにほのかな恐怖を抱いていたのだ。それに気付き、カルザードは自分を責めたが、それでもエッジを止めることはしなかった。親のいないカルザードには、エッジの気持ちがよく解らなかった。だから、何を言ってもエッジの心には届かないと諦めてしまったのだ。 シオンは父譲りの人格者であり、剣の才能も流石といったものだった。シオンも父を殺されている。エッジと同じく、ナギの暗殺者の手によるものだと聞いているが、真相は明らかではない。事件の一部始終を見たのはカーズだけなのだ。父が死んだ後のシオンは、あまりカルザード達と会わなくなった。父の後を継ぐべく、騎士団に入隊してしまったのだ。シオン自身は恐らく変わっていないのだろうが、カルザードは何となく彼と会う事に引け目を感じて、どうしても会いに行けなかった。 そして残る一人がカーズである。 カーズは、いつも兄の自慢をしていた。明るい少年ではあったが、どこか陰を持っているようにも思えた。カルザードは自分の境遇に悲観する事はあまりなかったが、兄に誇りを持つカーズを眩しすぎると感じていた。それでも彼がカーズと行動していたのは、本来兄よりも自慢になるはずの父、大貴族であり英雄でもある父の事をあまり話題に出さないからだった。 カルザードは本能的に感じていた。こいつも孤独だ、と。 親を求めているのに、確かに手の届く所にいるのに、孤独なのだと。 二年前のカルザードはシオンやエッジよりも、カーズと付き合う事が多かった。優しいシオンや、同じ被差別民という痛みを持つエッジよりも、親を求める孤独を持つカーズに親近感を覚えたからだ。 だが事情は変わった。シオンは父を亡くし、エッジは両親を亡くし、そしてカーズはいなくなった。全ての切っ掛けはラカン・サガの暗殺にあるのだろう。カルザードは、初めて本当の孤独を知った。家族がいない彼には、友人を失う事が最大の孤独だった。友人が変わって行く事が、彼は恐ろしかった。 カーズが帰ってきたら、二年前の自分達に戻れるかもしれない。父が死に、母を守るためにやっきになっているシオンや、両親が殺され、復讐を誓ったエッジには、あの眩しい少年が必要だと思った。心の底から兄を信頼し、誇りに思い、自慢にしているあの少年なら、何か自分には解らない光をシオンとエッジの心に当てられるかもしれない。そう思ってきた。しかし待てども待てどもカーズは戻ってこなかった。 そのカーズがようやく戻ってきたのだ。だが、それがエッジの旅立ちと入れ違いでは遅すぎる。昔の四人に戻りたいと思っていたのに、エッジがいなくなってしまっては、戻りようがない。 今更遅いのに、それでもカルザードはカーズの姿を探した。自分ではルーク家には入れないだろうと思った彼は、カーズの行きそうな所を片っ端から探してみた。どこにもいない。彼が最後に思いついたのは、よく彼とカーズが喧嘩をした川原だった。 ミグ王都を横断するラフ川は途中流れがいくつかの支流に分かれる箇所がある。その支流の一つ、人気が少ない郊外の川原は木剣を振り回すのに最適だった。王都内の小さな林の間を縫って、ラフ川の支流が静かに流れている。林の手前にはかつて彼とカーズが剣を打ち合った草むらがあった。年下の友人は、やはりそこにいた。こちらに気付いている様子は無かった。 「よう、久しぶりに打たないか?」 驚かせようと思って、カルザードは陽気に声をかけてみた。草むらに座ったカーズがゆっくりと振り向く。カルザードは自分が人違いをしたのかと目を疑った。 二年前のカーズは八歳だった。当然今は十歳のはずだ。しかしカルザードを見つめる目は、そんな少年の輝きを持っていなかった。カルザードの感情は急速に冷めていった。カーズが戻れば元に戻るなどというのは幻想に過ぎないと、ようやく認めざるを得なかった。あれほど、何の不安もないように兄を誇っていた少年は、何の感情も見せなかった。 カルザードが立ち尽くして十秒もした頃、ようやくカーズに表情が浮かんできた。 「……カル?」と、怯えたように呟いて、また黙る。カルザードが頷くと、カーズは目まぐるしく表情を変えた。カルザードにはその表情が読み取れなかった。怯え、嬉しさ、後悔、懐かしさ、ほんの数秒の間に、カーズの顔には様々な感情が渦巻いていた。カルザードはカーズの表情の一つに既視感を覚えた。 ああ、こいつは責めているんだ。そう、思った。 かつて孤児院の仲間が盗みで捕まった。ちょっとした盗みだったため仲間は数日で解放されたが、その数日の間で孤児院は周囲の白い目に晒された。カルザードも下の子も、大人達の無言の軽蔑にいたく傷ついた。帰ってきた仲間は、そんなカルザード達を見て、今のカーズのような表情をした。 「そんな顔するなよ、お前が悪いわけじゃない」 カルザードはそう言おうとした。言おうとして、やめた。その言葉はすでに孤児院の仲間にかけた言葉だ。孤児院の仲間はその言葉に泣き、カルザードや世話役に詫び、そして―― 「……人が死ぬのは誰にも止められない、そう思わないか?」 カルザードはカーズの背後まで歩いて、そう言ってみた。カーズが不思議そうな顔をする。カルザードは続けた。 「誰がどんなに止めたって、どんなに助けたって、死ぬ時は死ぬんだ。そう思わないか?」 カーズは答えなかった。 「今この国は平和だけどさ、戦争はしてないけどさ、俺は人が死ぬ所を見た。何人も見た。世界一の文明国だと誇っても、世界一の歴史を持ってるって自慢しても、その国で生きる俺たちは別に世界一じゃない。歴史があっても、明日の飯がなければ意味なんてない。意味のない生活に希望なんてない。希望なんてない生活に、努力なんてしたくない。……生きる努力をしたくない奴を、止める事なんて出来ない。そう、思わないか?」 カルザードの口調は、十二の少年のものとは思えないほど、重々しかった。カーズは少し考えてから、「解らない」と答えた。 「解らないか。じゃあさ、お前は運命ってのを信じてるか?」 カーズは顔を伏せて、それにも解らないと答えた。 「俺は信じてる。俺が孤児院に捨てられたのも運命だし、孤児院の仲間が捨てられてたのも、逃げてきたのも運命だ。色々あって死ぬ奴らは元々そういう運命だったし、その中で俺が生きているのも運命だと思ってる。ラカン先生が死んだのも……そういう運命なんだと思ってる」 カーズは答えない。 「お前さ、人を殺した事あるか?」 突然の質問に、カーズが思わず顔を上げる。 「どうだ?」 「………………ある」 「誰をだ?」 「ラカン先生」 予想通りの答えだった。なぜラカンほどの男が暗殺者の手に掛かったのかは不明だが、真相を唯一知っているはずのカーズは、自分のせいで師が死んだと思い込んでいる。恐らくカーズをそういって責めた者もいたのだろう。 「それが、二年前挨拶もしないで消えたわけか?」 カルザードは少し怒った声でそう言った。カーズが頷く。カルザードはカーズの頭を軽く蹴った。 「挨拶ぐらいしろよ。それにな、お前がラカン先生を殺しただ? ふざけるなよ、お前どれだけ強いんだ? 俺より弱いくせに勝手に先生殺したとか言ってんなよ」 これには腹が立ったのか、カーズは立ち上がってカルザードの肩を突き飛ばした。 「うるさい。カルに俺の気持ちが解るもんか!」 「解るはずないだろう、お前だって俺の気持ち解んないだろうが!」 カルザードがカーズの肩を突き飛ばした。カッとなったカーズがさらに反撃しようとした時、カルザードが続けた。 「お前が先生を殺したって言うんなら、俺は孤児院の兄弟達を何人殺したんだよ! 貴族様にゃ解んない世界じゃ、俺みたいな奴らがくだらない事で死んでんだよ!」 叫んで、カルザードは持っていた木剣をカーズに投げつけた。よろめきながらそれを受け止め、カーズがカルザードを睨む。 ――喧嘩をしたいのなら、拳ではなく、剣でやりなさい。 ラカンがそう言っていたのを思い出し、カルザードとカーズは木剣を構えた。 師の言葉の意味は解らない。それでも彼らは昔から師の言葉を守ってきた。この川原は、いつも二人が喧嘩をする時の決闘場だった。 二人はどちらからともなく、相手に向かって突進した。 † 二人の木剣は、一度たりとも互いの体を捉える事が出来なかった。カーズが振り下ろした剣を、カルザードがいなし、カルザードの返す一閃を、カーズがいなされた動きを活かして避ける。川辺には空を切る音と、木剣が打ち合う音だけが響いていた。 随分長い間打ち合った後、遂にカルザードの剣がカーズを捉えた。子供の振るう木剣だとしても、修練を積んだそれは充分に凶器になりうる。カーズは威力を最小限に抑えようと、自ら背後に跳んだ。横薙ぎに振られたカルザードの木剣は、カーズを川へと弾き飛ばした。 少年が宙に舞い、川に飲み込まれるかと思った瞬間だった。水面が隆起したかと思うと、水中から何者かが立ち上がり、少年の体を受け止めた。 「わっぱどもが中々面白い戦いをする……」 低く太い声だった。声の主は片手で受け止めていたカーズをカルザードに向けて投げ飛ばした。 「ラカンめ、ちゃんと教えていたようだな」 そう言いながら男が川岸へと上がって来る。カルザードとカーズは草むらに倒れたまま、その男を凝視した。 筋骨隆々な身体には、数え切れない傷が刻み込まれている。その顔も、体と同じく傷だらけである。軽く数えられるだけでも、四箇所は大きな傷が見える。二人の少年は恐怖した。男はどう好意的に見ても、山賊の頭領にしか見えなかった。 「何を怯えている」 男が一歩踏み出す。少年達が後ずさる。男はそんな様子を見て、彫りの深い顔に親しみにくい笑みを浮かべた。 「お前達はラカンの弟子だと思ったが、違うようだな。奴の弟子ならこんなに臆病ではない。……いや、奴の弟子だから臆病なのかな?」 「なんだと!?」 男の挑発に怒声を上げたのは、カルザードではなかった。カーズは友人の木剣を拾い上げると、立ち上がって男へ向けた。 「言い直せ」 先程まで、全てを諦観していたような少年が、今は激情に身を任せて大人に剣を向けている。その変化はカルザードの目にどう映るのであろうか。男がさらに一歩踏み出して来る。口元は完全に笑っている。意地の悪い笑みだ。 「言い直させてみろ」 カーズが突進する。男は道を譲るように体を傾けると、少年に足を引っ掛けた。 「猪突では当たらん」 転んで川面に頭を突っ込んだカーズに、嘲笑を浴びせる。大人気のない男である。カーズはすぐさま立ち上がると、再び男へと突進した。男は半歩踏み込んで体を沈めると、剣を振り下ろそうとしている最中の少年の手首を掴んだ。 「猪突では当たらんと言っているだろうが」 そう言うなり、少年を放り投げる。カーズはまた立ち上がろうとして、先程カルザードの一撃を喰らった際に落とした、自分の木剣を見出した。それを左手に掴むと、彼は体勢を低くして男へと突進した。男の眉がピクリと動く。カーズが体を回転させながら剣を振る。その速度は先程までとは比べ物にならないほど跳ね上がっていた。まず右手の木剣が、続いて左手の木剣が男へと襲い掛かる。男は避けようともせず、その剣を体に受けた。鈍い音を発して、木剣の破片が空に踊る。子供の膂力で振られた木剣では、この筋骨隆々な肉体には傷一つ付けられなかった。 「悪くない、悪くないぞ小童!」 男はそう言うと、カーズの頭を掴んだ。この時になって、ようやくカルザードが立ち上がった。友人が殺されると思い、我に返ったのだった。だが男が取った行動は、カルザードの予想とは違っていた。男は豪快に笑うと、カーズの頭を乱暴に撫でた。 「どうだ、儂の弟子にならんか!」 これにはカーズもカルザードも、ぽかんと口を開けて男を見つめるしかなかった。 「わっぱ、名は?」 「カーズ・リム・ダグス・ルーク」 男の勢いに押されて、カーズはつい名乗ってしまった。 「ルーク? ほう、《風のエイグス》の子か?」 カーズが頷く。 「そうか、儂はヴァンドルフという。ヴァンドルフ・デュッセルライトだ」 そう言って、ヴァンドルフは傷だらけの顔に笑みをたたえた。 「あ、暁の……」 カルザードの呟きを耳にとめ、ヴァンドルフは少年に目を向ける。その目は悪戯をしている少年のようであった。 「そっちのわっぱ、名は?」 「カッ、カルザード・ライオットです」 「ふむ、面白い目だな」 ヴァンドルフはいきなりカルザードの気にしている点を突いた。目をそむける少年を、傷だらけの大人が笑い飛ばす。 「何を気にする? その色か? いいではないか、その目はお前の力の証だ。先程の喧嘩も中々面白かったぞ、未熟な封異血統同士の喧嘩なんぞ、そうそう見れたものではない。流石ミグは歴史が違うといったところか」 「フウイ……ケットウ?」 問い返すカルザードに、ヴァンドルフは何も説明しなかった。 「いつか解る、気にするな。まあ、とにかく自信を持ってりゃなんとかなる」 そう言って、今度はカルザードの頭に手を置いた。 「ライオットは本名か?」 カルザードは首を振ろうとしたが、ヴァンドルフの手が邪魔で頭が動かせなかった。 「俺は親がいないから、名前は孤児院の人が付けてくれました」 「ああ、雰囲気で解る。自分の親に会いたいと思った事は?」 カルザードは頷きかけて、カーズが気になった。ついさっきまで喧嘩をしていた年下の友人に、子供らしい自分を見せたくはないと思った。だがヴァンドルフは答えを聞かずに言葉を続けた。 「今は会いたいか?」 左右別色の瞳を持つ少年は、逡巡の後、頷いた。 「そうか、今に会える」 「えっ?」 「お前が成長し、自分の瞳の意味を知れば、おのずと探す手口が掴めるだろう。今は、今を生きろ。焦っても無駄だ」 ヴァンドルフはカーズに視線を戻すと、また頭に手を置いた。どうやら彼の子供と喋る際の癖のようだった。 「お前は、ラカンの死が自分のせいだと思っているな?」 カーズの体が硬直する。 「思い上がるな。ガキが自分を責めるなんぞ十年早い。お前がその場に居ようと居まいと、ラカンは死んだ。それにな、死なん人間なんぞおらんのだ。誰にも負けないと誇っていたところで、百年もすりゃ墓の下だ。師匠の一人や二人、死んだところで気にするな。どのみちラカンはお前より歳を食っていたのだから、お前よりも早く死ぬ。それが予想より早かっただけだ」 「…………何が解るんだよ」 カーズは先程、カルザードとも似たようなやりとりをした。その時も今も思うのはただ一つ、自分の苦しみを知らないのに勝手な事を言うなという怒りだった。 「馬鹿なガキだ」 ヴァンドルフは幼い怒りを馬鹿にした。彼はカーズと同じ目の高さになるように中腰になった。 「自分だけが被害者で周りは理解してくれない、か? 甘ったれた戯言だな。お前は、このカルザードの苦しみや孤独を理解しているか? お前は儂のような人間の苦しみを想像出来るか? 出来んさ」 十歳の少年には酷な言葉だった。目の端に涙を浮かべたカーズの頭を、ヴァンドルフは軽く叩いた。 「悔し涙は二年早い。だが、ガキは泣いてるくらいで丁度いい。これから儂が鍛えなおしてやろう」 ヴァンドルフは立ち上がると、ズボンのポケットから鎖のついたペンダントのようなものを取り出した。 「このロケットを父親に渡して来てくれんかな? エイグスに『ヴァンドルフが用がある』と言えば解る」 そう言ってカーズに銀製のロケットを渡す。ロケットには十本の剣らしき模様が刻まれていた。カーズはいけ好かない強面の男を睨み、反抗するそぶりを見せたが、父の客だと割り切ってヴァンドルフに背を向けた。 カーズが去ってから、ヴァンドルフはカルザードの頭に手を乗せた。 「お前の友達は危ういな。放っておけば闇に呑まれるぞ。今だって、随分と揺らいでいる」 カルザードは頷こうとしたが、やはりヴァンドルフの手が邪魔だった。 「あの揺らぎは危険だ、下手をすれば害となる。だから儂が道を正してやる。儂があのわっぱを、正道に引きずり戻してやる。そのために、二年ほど友達を借りていくぞ」 カルザードは頭を動かすのを諦めて、上目でヴァンドルフを見た。 「約束できますか?」 「ああ、約束してやろう。儂が師である限り、闇に呑まれんように鍛え上げるとな」 そう言うと、ヴァンドルフは少年の銀髪から手を放して歩き出した。 「ああ、そうだ」 数歩行った所で振り返る。 「よくあのわっぱを怒らせたな。実に子供らしい、良い挑発だったぞ。怒らせるのは、感情を凍らせて自分の殻に閉じこもろうとする輩には良い薬だ。儂はそう思っておる。特に、あのようなまだ本人に迷いがある状態だとな」 そう言って再び歩き出し、ヴァンドルフは川辺から路地へと入って行った。その足はルーク邸へ向かっている。 「儂がホリンの爺のような真似をするとはな……。なるほど確かに、ルークの子供達は妙な危なっかしさを持っているわ」 呟きは誰に聞かれるでもなく、口の中で消えた。 「親子揃って、四人ともが封異血統に苦しめられるというのも、珍しい話だ……」 口元に笑みをたたえて、ヴァンドルフは腰のベルトに手を伸ばした。ベルトに下げられた二本の筒のうち、一本を手に取って足を止める。 「出て来い」 何も起こらない。濡れたままのヴァンドルフの服から、水滴がミグの石畳に落ちた。 「わざわざ一人になってやったんだ、刺客ならば襲い掛かるのが筋だろう」 何も起こらない。ヴァンドルフの足元には小さな水溜りが出来始めている。 「……刺客でないのならば、密偵か?」 何も起こったようには感じられなかったが、ヴァンドルフ空を見上げた。何者かが空に逃げようとしていた。既に剣の届く範囲ではない。だが、ヴァンドルフは右手に持った筒を振り上げ―― 「未熟」 斬った。十メル以上離れた高さにいた密偵の腕が血と共に落下する。一拍を置いて、悲鳴を上げた密偵が落ちてくる。ヴァンドルフが走る。 「魔法は出来るようだが、密偵としては素人だったな」 そう言ってヴァンドルフは、落ちてきた密偵を受け止めた。密偵は叫び声を上げながら、斬られた腕を押さえていた。飛翔呪文は簡単な魔法ではない。熟練の魔術士でなければ完全に制御する事は難しく、飛び続けるには詠唱し続けなければならない。悲鳴など上げれば呪文が解けるのは当たり前であった。 「なんだ情けない、ホリンの爺なら、真顔で飛び続けるぞ」 ヴァンドルフは比べる相手を間違っていた。飛翔呪文を使えるだけでも、大した腕のはずなのだ。 「さて、儂の任務の邪魔をした理由は何かな? 儂を暗殺するための刺客でもない、いや、それ以前に儂は対象ではないな?」 青ざめた顔のまま、密偵の魔術士は助けてくれと連呼していた。かなりの血が流れ出ている。 「となると、カルザードの方かカーズの方かな? ふむ、偶然同じ対象を探っている男がいたから、調べてみようと思ったのか?」 魔術士は何度も頷いた。素直に答えるから助けてくれという事らしい。 「そうか、すると運が無かったな。儂が誰か解らんかったのだな」 魔術士が頷く。また、助けてくれと連呼する。 「喧嘩を売る相手を間違えたな」 ヴァンドルフは男を乱雑に地面へ放った。右手に持ったままの筒を、再び振り上げる。筒の先に、光の刃のようなものが現れる。それを見て、魔術士の動きが止まった。 「《光双剣の――》」 「そう、儂がヴァンドルフだ」 ヴァンドルフは不敵に笑った。 「十聖騎士っ!」 それが魔術士の最後の言葉だった。 ヴァンドルフは魔術士のローブの下をまさぐり、金属片を取り出した。 「所属が割れるようなものを持ち歩くとは、やはり密偵は素人だったようだな。ふむ……《魔・鬼・死》? ナギの魔導衆か…………さて、狙いはどちらかな?」 そう呟くと、十聖騎士《暁の剣聖》はルーク邸へ向けて歩き出した。 † 一年の時が過ぎた。 輝暦二九七七年歩花の月、既にケッタルスとクルストルが旅立って一年十ヶ月になる。 中央大陸アラニス、南の大陸アークランド、東の大陸ウェイティルの三大陸を隔てる海、大洋シーライズ。その東に位置するアヴァロニア島に、アヴァロンという国がある。俗に、騎士国と称される小国である。 その日、アヴァロンの港には幾隻もの船が停泊していた。船にはそれぞれ違う言語で名が書かれ、造形もそれぞれ違った技術が使われている。全て異国の船なのだ。今も港に船が入ってきたところである。他の船はそれぞれ大きさや装飾が違っていたが、今入ってきた船はその中でも際立っていた。船首の人魚像は黄金に輝いており、木材は全て赤く塗られている。とにかく目立つその船には、ミグ王国の名が刻まれていた。 船の係留が済むと、甲板から紫色のマントを纏った男が降り立った。目立つ船から降り立った男も、またひどく目立った。かなりの長身に紫色の長髪、紫色の口髭、眉間には深い皺が寄せられている。マントは左肩の部分を黄金の留め金でまとめられ、腰には黄金の長剣が下げられていた。男が歩くと、その先にいた人々は道を譲る。男はまるで他人など存在しないといったふうに、堂々と港を歩いた。 男がふと立ち止まる。彼の前に、身なりの良い老紳士が立っていた。 「ガイア卿とお見受けします」 老紳士の言葉に、男は大儀そうな動作で頷いた。 「陛下がお待ちです。こちらの馬車へどうぞ」 そう言って老紳士が黒塗りの馬車へと案内する。ガイア卿と呼ばれた男は、礼も言わずに馬車へと乗り込んだ。 馬車は港町を出てしばし走った後、人気の少なくなった所で停止した。周囲はただの草原で、建物など何も無い。無論、人影も見えない。老紳士がガイア卿に馬車から降りるよう告げると、彼は訝しがる様子も無くそれに従った。 「既に皆様はお集まり頂いています。何分ご多忙な方々ばかりですので、非礼とは存じますがここからは魔法で移動させて頂きたく――」 「構わん。早くしてくれ」 ガイア卿がそう言うと、老紳士は頭を下げてから呪文を詠唱し始めた。老紳士はどうやら高位の魔術士でもあるようだった。詠唱が済むと、老紳士とガイア卿の体がふわりと浮いた。 「申し遅れました。私は宮廷魔導師をさせて頂いている、エミルと申します」 「お会いするのは恐らく二度目だな。言葉を交わしたのは初めてだが」 エミル魔導師は柔らかに笑うと、さらに詠唱を始めた。飛翔呪文を一度の詠唱だけで持続させ、その上で追加詠唱など出来る魔術士はあまり多くない。老紳士が魔術士ではなく魔導師と名乗った事からも、彼がかなり高等な魔法を使う事がうかがえる。魔導師とは魔術士を育てる事の出来る魔術士の事である。普通ならばこんな小国に魔導師などいないのだ。 エミル魔導師が詠唱を終え、追加呪文を開放した。凄まじい速度で二人の体が上空へと飛び上がる。 「それでは、王城センペル・ユースティティアへ参ります」 数分の後、二人の姿は王城の屋上にあった。 「馬車で半日の道を、ものの数分か……貴公がアヴァロンの者でなければ、ミグへ連れて帰りたいところだな」 ガイア卿はそう言って、僅かに口の端を吊り上げた。微小ながら、笑顔を作ったつもりなのだろう。エミル魔導師は深々と頭を下げてから、何事も無かったようにガイア卿を王城へと招きいれた。 両開きの扉の前で、エミル魔導師が立ち止まる。 「私がご案内できるのは、ここまでです。皆様お待ちですよ」 扉が開く。長方形のテーブルに十脚の椅子、そのそれぞれに座っていた八人の男が一斉にガイア卿を見た。 「お待たせして申し訳ない。《黄金の剣》ジークフリード・ウェン・ガイア、これより十聖騎士会議に参加する」 八人は立ち上がって彼を迎えた。彼らこそ、世界に名立たるアヴァロニアの十聖騎士であった。ジークフリードが空席の前へ移動すると、申し合わせたように全員が着席する。ジークフリードは、もう一つの空席に目をやった。 「《甲剣》は?」 一番奥の席に座る老人にそう問いかける。 「此度の十聖騎士会議召集は、その事についてだ。先日、《甲剣》のコクリトンが死んだ」 ジークフリードがその眉間の皺をさらに深くする。他の面々に動揺はない。老人が言葉を続ける。 「その事については、《黄金の剣》以外の十聖騎士には既に知らせた。死因などについては、これより十聖騎士会議を行い、その中で語る」 老人が見回すと、八人の男はそれぞれ頷いた。 「それでは、これより十聖騎士会議を始める。この場においては、平時の感情を封印し、民族、信仰、遺恨、立場、全てを忘れ、十聖騎士として発言をせよ。それが出来ぬものは、十聖騎士の名を置き、退出せよ。出来るものは、胸に手をあて、自らの誇りに誓え。我、アーサー・ド・ラルクヴァール・シルトゥーク、十聖騎士《騎士皇》として誇りに誓う」 続いて、アーサーの手前に座った傷だらけの男が胸に手を当てる。 「我、ヴァンドルフ・デュッセルライト、十聖騎士《暁の剣聖》の名と共に誇りに誓う」 その対面に座った、赤黒い肌のドワーフ族と、その横の青い服の男が胸に手を当てる。 「我、ギミッカ・ノームボルト、十聖騎士《炎と大地の王》として、我が誇りにかけて誓おう」 「我、キース・シルザード、十聖騎士《銀の剣》として、誇りに誓う」 キースの対面、ヴァンドルフの横に座った青い髪と赤い目を持つ男が重々しく口を開く。 「我、プログレス・アークライニング・ヴァン・ドラグレス、十聖騎士《竜帝》の誇りに誓う」 その横に座った態度の悪い男が、気だるそうに言う。 「砕・煉、十聖騎士《焔魔》の名と誇りに誓うよ」 煉の横に座った男は、彼とは対照的に優雅な物腰で胸に手を当てた。 「私、アティリフス・ヴ・ローゼンバウム、十聖騎士《黒薔薇公》の名と誇りに誓います」 彼の対面は空席である。彼の横にいた強面の巨漢が、ゆっくりと口を開く。 「我、ヴァルドリッヒ・ガルフォーク、聖と魔と《轟剣》の誇りに誓う」 最後は、ガルフォークの前に座るジークフリードであった。彼は紫のマントを外すと、胸に手を当てた。 「我、ジークフリード・ウェン・ガイア。十聖騎士《黄金の剣》の誇りと、亡き友《聖竜の騎士》に誓おう」 こうして十聖騎士会議は始まった。 十聖騎士会議は、《騎士皇》アーサーを筆頭とした評議会と、十聖騎士で行われる。平時の会議には十聖騎士は招集されず、評議会とアーサーのみで十聖騎士の方針や、彼らに貸し出される十聖騎士団の管理を行っている。普段の十聖騎士は多忙なため、召集が出来ないのである。それは、裏を返せば十聖騎士が会議に招集されるという事は、何か変事が起きたという事に他ならない。 八人の英雄の視線を受けて、アーサーが喋り出した。 「事の発端は二年前だ。十聖騎士会議は《甲剣》に、ある任務を言い渡した。《アラニスの四魔王》に対する調査だ」 英雄達がにわかにざわめいた。 「卿らの言いたい事は解っている。察する通り、我々十聖騎士会議は、《アラニスの四魔王》に手を出す予定だった」 アラニス大陸に存在する、強大すぎる何者か。魔王と呼ばれる彼らには、アラニスの列強や幾多の英雄、過去の十聖騎士達が挑み続けて来た。その結果の九割九分までが死という敗北に終わった。今まで魔王に挑戦し、勝ち得た者は歴史上にただ一人、この席に座る青い服の男――シルザード建国王キースのみである。だが彼の勝利と引き換えに、世界最大最強と讃えられた大国ファウが滅んでいる。挑むには、あまりにも巨大すぎる相手なのである。 キース・シルザードが目を閉じてゆっくりと手を上げる。視線が集まる。 「私は、魔王を見た唯一の人間だ。唯一魔王と会い、魔王と話した男だ。その上で発言させてもらう」 目を開ける。 「彼らに手を出す事は無意味だ」 アーサーを睨む。 「《騎士皇》卿には全てを話したはず。全てを知って何故、まだ挑もうとする」 「挑もうと思っているわけではない。あくまでも私が命じたのは調査だ」 《銀の剣》は反論をせず、アーサーに会議の続行を促した。 「再度言おう、十聖騎士会議は《甲剣》に対し、魔王の調査という任務を言い渡し、彼はそれを引き受けた。彼からの報告をまとめた結果、魔王の領域と呼ばれる地域の内、三割は人間の住む余地があるという判断を下した。その中のさらに四割ほどは、鉱物や植物、湖など、人々の生活のためになる資源が手付かずで残っている。そこを切り開けば、新たな交易路も作れ、新たな資源によって人々も助かる。十聖騎士会議はそう思い、四ヶ月ほど前に《甲剣》へ任務終了を伝えた。しかし《甲剣》は帰還しなかった」 「別に『任務終了後は一旦この島まで帰還しろ』って決まりはないだろ?」 砕・煉が言う。その横で《黒薔薇公》が露骨に嫌な顔をした。砕・煉はそれに気付かずに続けた。 「この島まで来るのはかなり骨が折れる。遠すぎる。任務のたびに呼び出されて、終わったらまたここにってか? そりゃあしんどいだろう」 アーサーは怒りもせずにその言葉を受けた。 「そう、終了後の帰還は義務ではない。だからこそ、私は《甲剣》が任務を終了し、普段の生活に戻ったものだと思っていた」 「違ったのかよ?」 「ふた月前の事だ、《甲剣》より手紙が届き、十聖騎士団を派遣してくれと言ってきた」 十聖騎士団、騎士国アヴァロンに惹かれ、十聖騎士直属の兵員として雇われている騎士達である。各十聖騎士に八十名を貸し出せるように、常時千人近くがアヴァロンで待機している。しかし、十聖騎士は個々の能力が高い上に、大半が自国でも相応の地位にいる者ばかりである。大抵の任務ならば、単独行動で解決できる。単独で無理な場合でも、彼らには動かせる人員が多い。いざとなればその人員を使えば済む話である。ほとんどの任務には、十聖騎士団が派遣される事はない。 「派遣理由は?」 ジークフリードが訊ねる。 「《南の魔王》の領域を調査するためだと書いてあった」 「任務は終わったと知らなかった可能性は?」 「ない。返事を持たせた者にもその確認はさせた」 「派遣は?」 「せんよ。任務外なうえ、そんな曖昧な理由では派遣などできん。調査をする理由を聞いても、はっきりとは答えなかった」 「そして、死んだ」 アーサーは頷いて、キース・シルザードを見た。皆もつられたように彼を見る。若き英雄王は話を引き継いだ。 「コクリトンは瀕死の状態で、シルザード王国領内の漁村へ流れ着いた。彼は自分が十聖騎士だと明かし、私へ連絡するように頼んだらしい。事の異常さが気になって、私自身がその村へ出向いたが……着いた頃にはとっくに彼は死んでいた」 「で、死体は掘り起こしたんだろうな?」 「砕、貴公っ!」 砕・煉の言葉に《黒薔薇公》が怒りをあらわにした。 「掘り起こせなかった」 険悪な雰囲気になる前に、シルザードが続けた。 「その漁村はフィラを信仰していたのでな」 「フィラ? 聞き慣れん名だな」 《竜帝》ドラグレスが首をかしげながら言う。 「中央大陸と、大洋シーライズ全域では結構名の知られた神だ。全ての生命の根源は海にあり、命尽きれば海へ返す。そうすれば、また命を持って生まれ変われる。簡単に言えばそういう信仰だ。東の大陸じゃ聞かないか?」 聞かん、とドラグレスが答えると、同じ東の大陸のガルフォークが割って入った。 「いや、ウェイティル大陸でも信仰する者は若干いる。《竜帝》卿の御国では知っている者がいるかどうか存ぜぬが――」 「なんたって、竜が神様だからな」 またも砕・煉である。ドラグレスは顔色一つ変えずに彼を制した。 「神ではない。竜は神よりも上の存在であり、よって神ではなく竜を信仰する。ただそれだけだ。砕卿が何を言いたいのかは知らんが、十聖騎士会議において信仰の話は法度だ。口を慎まれよ」 「ん、すまん」 悪びれた様子もなくそう言って、砕はシルザードに話を続けるよう促した。 「話がそれ過ぎたな。とにかく、フィラの信徒が気を遣って《甲剣》を海に流したので、彼がどのようにして死んだのかは解らなかった。しかし彼は魔王の領域から逃げて来たと語ったらしい。……我が国には旧ファウ王国の民が多い。どうしても魔王に対する恐怖が大きいのだ。そのために、《甲剣》を助ける事を恐れる者が多かったようだ。治療も近隣の町から駆けつけたフィラの地方司祭が、簡単な魔法治療をした程度だったらしい」 「別にお前が悪いわけではないだろう」 ヴァンドルフが言う。 「いくら頑張っても王の意思は、民の末端にまで完璧には伝わらん。逆も然りだがな。それに魔王への恐怖心など、どうしようもないだろう。気にするな。とにかく、コクリトンは死んだ。我々はこれから何をすればいい?」 十聖騎士筆頭と言われる男は、アーサーを見た。 「新たな十聖騎士の選出と、魔王の領域への調査を提案する」 《騎士王》アーサーはそう言って一同を見た。 「各位、十聖騎士候補となる人物に心当たりはないか? どうだヴァンドルフ」 「心当たりか、今の時点では二人ほど」 「誰だ?」 「ボルテクス・ブラックモアと――」 「ソルトソード・クレイモアか。卿の弟子ではないか」 「儂の弟子だからこそ、信用できるだろ?」 ヴァンドルフは不敵に笑った。アーサーも軽く笑う。 「確かに名はこの小島まで聞こえている。考えておこう。他の面々はどうだ?」 シルザードが手を挙げる。 「三人ほど、まだ若いですが。カルストン・バーウェン、ケッタルス・シーザー・ルーク、クルストル・ラーグ・ガイリード」 その名に、ジークフリードが意外そうな顔をした。 「ルークとガイリードだと?」 「ご存知か? アカソー島出身の若者だ。まだ十九か二十くらいだったと思うが」 その年齢に、一同は口々に若すぎると言っていたが、その年齢にしてシルザードとジークフリードが知っているという事に興味を覚えたようだった。 「ふむ、面白い。若いからと言って忌避するのもおかしな話ではあるな。何より、自由に動ける人材が欲しいところだ。その若者に連絡は取れるか?」 「現在はハイドランド法国に滞在していると聞き及んでいます。帰国後、ただちに連絡を取ってみましょう」 ケッタルスとクルストルの名は、当人たちの知らぬところで、英雄たちの記憶に刻まれた。 会議終了後、ヴァンドルフはのんびりと王城を出た。背後には七人の男がそれぞれの馬車に向かっている。 「ヴァンドルフ殿、ご一緒にどうか?」 そう声を掛けてきたのはジークフリードであった。ヴァンドルフは何かを察したのか、彼の馬車に同乗した。馬車が港町へ向けて走り出してしばらく経った頃、ジークフリードが切り出してきた。 「ルークとガイリードの事なのだが、奴らはやはり……?」 「エイグスとバルトーの息子だ。まあ十聖騎士になれるかどうかと言えば、無理だろうがな」 「見込みが無い?」 「才能はあるだろう。特にルークの方は、封異血統の突然変異のようなものだとホリンから聞いている」 「ルークは《赤き魔導王》殿とも面識が? しかし封異血統の突然変異とは――」 「さてな、儂にも解らん。ただ聞くところによると、ルークは馬よりも早く走るらしい」 その言葉に、普段は笑わぬ《黄金の剣》がにわかに笑った。 「まさか。父のエイグス殿でさえそんな芸当は不可能だ」 「まあな、儂もこの話をされた時には笑い飛ばした。問題は、話したのがホリンだという事だな」 ジークフリードが笑みを消す。ヴァンドルフは鼻に刻まれた傷を撫でながら言葉を続けた。 「そもそも、儂はエイグスに封異血統があるとは聞いた事がない。ルーク、ケッタルスの方だな。彼とは面識はないが、ホリンの話を聞く限りでは、異常なまでの速さだそうだ」 「確かにエイグス殿は封異血統を持っているとは聞いていない……」 「まあ、それは持っている事が解った」 「と言うと?」 「もう一人の息子を弟子として預かっている。もう一人の息子も、確実に封異血統を持っている。その父となれば、持っているだろうさ。仮にも風の異名を持った男だしな。問題は……」 その先の言葉を、ヴァンドルフは口に出さなかった。彼の友人、ホリン・サッツァ・トラウムは、ケッタルスの速さを異常と言った。そして―― 『彼の封異血統は、突然変異じみたものを感じるよ。一歩間違うと、危険な事になる』 その言葉が、彼の頭から離れない。 馬車は沈黙を保ったまま港を目指した。 数日後、ヴァンドルフは洋上で新たな十聖騎士候補の名を知らされる事となる。その中には、彼の弟子二人と、数名の英雄の他、ルークとガイリードの名が記されていた。 「……嫌な予感がするな」 ヴァンドルフの心配をよそに、既に事態は動き始めていた。 ――続
|
Web拍手を送る 次の話へ TOPへ戻る BBSへ行く
よろしければ、感想やご意見をいただきたく思います。ダメ出しも歓迎。
メール:crymson@saku2.com
著作権は全て栗堀冬夜にあります。無断で、文章の一部および全てを複製したり転載する事を禁じます。