なんでもレビュー

変身

出版:新潮文庫 著:カフカ、訳:高橋義孝 定価:340円

 ある朝、グレーゴル・ザムザがなにか気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な虫に変わっているのを発見した。

 強烈な一文から始まる不条理な物語。シュールレアリスム系小説の代表作。
 ザムザは外交販売員として、各国を飛び回りながら若くして父母と妹の生活を支えていた。そんな彼が目覚めたら虫に変わっているのだ。普通は驚く。パニックにもなるだろうし、絶望もするだろう。だが彼は淡々と自分を観察し、そろそろ仕事に行かないとなぁと考える。
 作中でザムザが何の虫になったのか、何故虫になったのかは一切触れられていない。作者カフカは挿絵を依頼するにあたって、既存の虫などは書くなと注文を付けたくらいだ。
 解るのは甲羅と節を持った全長1m前後の多足虫だという事ぐらいで、歩いた後に粘液がこびりつくという程度しか解らない。

 ザムザは自分が虫に変貌した事を特になんとも思わず、家族と意思の疎通が取れないこと、家族の支えになれない事を嘆くだけだ。作中では彼が家族を支えるために、必死で頑張ってやりたくもない外交販売員として働いていること、いつかやめたいと思っていること、音楽が好きな妹を音楽学校に入れてあげたいので、クリスマスプレゼントにそのための資金をあげようと頑張ってきたことなどが、ザムザ視点で淡々と語られる。この物語は虫と化したザムザの一人称小説だ。
 ずっと家にいられず、守っている家族と共にする時間も取れずに働きまくっている彼が、虫になってずっと家にいることから見えてくる、家族の姿。父はザムザを嫌い、母は息子だとは思っても化け物としか見れず、妹だけが我慢して世話をしてくれている。そうして時間が経っていくうちに見えてくること、ザムザが「自分の家族はこうだ」と思っていたのは、あくまでもザムザの思いでしかなく、人は変化していくものだということ。

 この物語は不条理にして不快な物語である。
 ザムザのこれまでの努力は、虫になったという一点で無に帰して、ザムザの世界の全てから嫌悪される。それでもザムザは悪し様に罵ったり憤ったりはしない。淡々と淡々と、考え見つめ続けるだけである。
 なぜザムザが虫になったのかは最後まで語られない。家族も周囲の人も、誰一人としてザムザが虫になった事に驚かない(驚くのは巨大な虫がいるという嫌悪だけで、大半の人がザムザが虫になったという事態を受け入れている)。
 作中ではザムザが部屋の壁や天井をはい回るという描写があるため、虫になったというのは間違いないのかも知れない。だが、これが現実なのか夢なのか、ザムザは本当に虫になったのかは不明なままだ。
 「虫」という一点を別のものに置き換えてしまうと、とても悲劇的になる。例えば、ザムザが急に何らかの病気や障害を負った場合だ。作中にある壁をはい回ったり甲羅が有ったりという一部の描写さえ除けば、置き換えても物語の文章を弄ることなくほとんど成立してしまうのだ。その場合、今まで必死で頑張ってきたザムザが急に働けなくなり、意思の疎通も取れないが床を這って動き回れるという状態になったと想像してほしい。
 誤解を恐れずに不快な言い方で例えるとすれば、誰も働けない家で唯一働いていたザムザが、急に重度の障害を持ってしまい、父は嫌い、母は息子を正視できず、妹は複雑な思いを持ちながらも介護する。日が経つにつれて家族はザムザがいなくても食べていく方法を考え、ザムザの存在も抱擁は出来ないが事実として受け止める事ができ、新しい生活を始めるうちに介護疲れを起こして対応が変化していく。そういう現代社会でも起こりうる事態になるのだ。

 作者カフカは、「とても読めたものではない結末。細部に至るまで不完全」とこの作品を評している。書く時間が足りなかったというのだ。そんな作品がカフカ作品で一番メジャーなのは何とも皮肉だが、作者本人が細部に至るまで不完全だと思っているからこそ、この作品は成立している。
 不完全が細部にまで至っているからこそ、細部にわたって不条理なのだ。そうして細部にわたって不条理だからこそ、この作品はシュールレアリスム小説の巨頭として現代に残っている。だが、ひょっとするとシュールレアリスムになったという事実がカフカにとっては「不完全」なのかも知れない。先述したザムザが「虫」ではなく、例えば重度の病気や障害を抱えた場合に置き換えて考えると、ある意味ではとても現実的なのだから(だからこそ不快になるのだ)。
 面白い、と言って良いのかは迷う。大半の人間には不快な小説だろう。だが、読んで損することはない。陰鬱な気分になって読まなければ良かったと後悔する事はあるかもしれないが。

 なお、主人公の名前は新潮版では「グレーゴル」となっている。私はずっと「グレゴール」だと思っていたが、そうする書籍もあり、どちらが正しいとは断言できない。一般的なのはグレゴール、書籍等で有力なのはグレーゴルのようだ。

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