なんでもレビュー

楽園 戦略拠点32098
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出版:角川スニーカー文庫 著:長谷敏司 定価:419円(税別)

 「第六回角川スニーカー大賞」金賞受賞作。

 190P弱と、薄い装丁なのに反して、内容はとても詰まっている良作。琴線に触れるSF。
 体のほとんどを機械化された兵士と、無垢な少女、その保護者のような、戦いを捨てた敵兵士。生活する中でよみがえってくる人間性。苦悩と感情。短い作品ながらも作家の職人意識というか、こだわりがよく見えて、とても好感が持てる。

 遠い未来、人間が宇宙へ進出し、様々な文化や国家が形成されてさらに時間が経ってからのお話。
 汎銀河同盟と人類連合は数百年にわたる戦争を続けていた。
 そんな中、汎銀河同盟の降下兵ヴァロワは極めて成功率の低い作戦への参加を命じられる。それは、人類連合が異常なまでの兵力を割いて守る一つの星への降下作戦だった。その星は宇宙から観測する限り、なんの軍事施設もなければ都市もない、ただの無人の惑星だった。だが人類連合はその星を死守している。人類連合はその星を「楽園」と呼び、汎銀河同盟は正体不明のその星を「戦略拠点32098」と呼んだ。
 物語は、ヴァロワが作戦唯一の生き残りとして「楽園」に不時着するところから始まる。生き延びた彼が出会ったのは、どう見ても軍人ではない無垢な少女マリアと、士官級の敵兵士ガダルバだった。
 ガダルバの性能は高く、ヴァロワの持つ武器では傷一つ付けられないため、彼は戦わずして投降する。そして、ヴァロワとマリア達の生活が始まる……。
 ガダルバはこの星はただの墓であり、自分たちの兵士が戦い死ぬ際に、この星へ墜ちて来るのだと言う。信じられないヴァロワは星の調査をしながら生活するが、星には本当に何もなく、あるのは地表に刺さったまま朽ちていく墓標のような戦艦達だけであった――

 登場人物は3人。ヴァロワ、ガダルバ、マリアだけだ。
 汎銀河同盟の兵士は体の大半を機械化されており、ヴァロワは自分の好きなムービースター・リッキーと同じタイプの体を使っている。同じ部隊にもリッキータイプの体を使った仲間はいるし、バージョン違いのリッキーもごろごろといる。
 不器用で粗野な性格だが、悪い人間ではなく、ただ長い戦歴の中で夢や希望が無くなっていっただけである。
 物語は主に彼に力点を置いた三人称一元
(注:いわば一人称的な三人称。一般的ないわゆる「神の視点」の三人称は三人称多元)で書かれるのだが、その節々にさりげなく世界観や彼の人となりがちりばめられている。
 人類連合の兵士についての描写はほとんど無いのだが、ガダルバは脳以外を全て機械化した兵士だ。外見も人型であるだけで、ほとんど機械。顔も真ん中にレンズがあるだけで、人間的ではない。彼はもともとこの星にいたわけではなく、墓である「楽園」に戦艦ごと墜ちたのだが、彼だけが生き残りマリアに助けられたのだという。彼に感情はほとんど無く、兵士にとって感情は判断を誤らせる「誤差」でしかないと断ずる。それなのに、なぜか彼は命令でもないのに一人でマリアを守り続けている。
 マリアは無垢で無知で無邪気な少女である。よく笑い、よく怒り、好奇心いっぱいに「楽園」を駆け回っている。「楽園」には彼女の他に誰もいず、ガダルバが墜ちて来た時、すでに彼女はそこにいたという。彼女は墜ちてきた戦艦から戦死した兵士達を運び出し、「おやすみ」と言っては土に埋めてあげている。ガダルバはその中で目を覚ました唯一の兵士なのだった。

 物語はしっかりとした背景世界を持ち、勢力の違いによる思想や文化の違い、戦争の仕方や武装の区別などの設定もあるうえで、それらをメインに顔を出すことを許さずに進む。どういう事かというと、極めてSF的な世界を持っているが、物語はあくまでも人間ドラマなのだ。
 確固たるSF的な世界を構築したうえで、その世界の人間だからこその苦悩や感情を持たせた人間ドラマなのだ。
 実はSFが好きな友人に読ませると、あまり好きではないという返事だったのだが、私は再度読み直してみて、やはり好きな作品だと断言できる。
 ジュニアノベルという業界において、この作品で勝負したという作者に親近感を持ったせいかもしれないが、良質な作品だと思っている。
 ただ惜しむらくは、物語の展開中に三人称一元で視点の元となる人物が変わる――つまりヴァロワをメインにした三人称から、ガダルバをメインにした三人称へと頻繁に変更が行われる――事が多いのだが、たまに視点人物が混ざるという事か。三人称一元の小説で、急に三人称多元が混ざったり、一元の中心じゃない人物の視点で書かれるというのは、軽い混乱と気持ちの悪さを呼ぶ。この点が無ければもっと良い作品になったのになぁ……。

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