なんでもレビュー

ベクター -媒介-
出版:ハヤカワ文庫 著:ロビン・クック、訳:林克己 定価:987円

 作者は、映画にもなった「アウトブレイク」を書いたロビン・クック。医学サスペンスの巨匠です。
 この「ベクター -媒介-」は炭疽菌を用いた生物テロを扱った作品。
 まるでここ数年の世界情勢を予期していたかのような先見性に驚かされる。

 成功を夢見てソ連から渡米したタクシードライバーのユーリは、ユダヤにコントロールされるアメリカ社会や高慢なビジネスマンに鬱屈とした思いを抱いていた。彼は社会への復讐を考え始め、偶然知り合った極右集団のテロ計画に協力する事になる。
 彼はソ連時代に生物兵器を取り扱う工場で働いており、テロの手段として炭疽菌やボツリヌス菌を使おうと培養設備を整えていた。炭疽菌の培養に成功したユーリは実験として、敷物商の男に炭疽菌の入ったダイレクトメールを送りつけるのだった……。

 主人公はニューヨーク市警の監察医、ジャック・ステープルトン。
 彼はロビン・クックの著作「コンテイジョン -感染-」や「クロモソーム・シックス -第六染色体-」の主人公でもあるらしいが、私はそれらの作品を未読でも大丈夫だったので気にする必要はない。同じく「ブラインドサイト -盲点-」や先述の第六染色体のキャラも登場するが、これも同様で、人間関係や人となりはこの「ベクター」から読んでも理解できる。
 ジャックは頭も良く能力もあるが、行動力が高すぎて良く問題も起こす。そんな彼の元に敷物商の死体が運ばれて来る。死因はインフルエンザかと思われたが、不審な点が多い。ジャックはふと、本で読んだ炭疽の可能性を思いつく。仲間達からは非現実的だという反応を受けるが、検査の結果は陽性。
 期せずしてジャックはユーリのテロ計画と関わることになってしまうのだった。

 導入はこんな感じ。
 これが発表された時には炭疽菌を用いたテロは現実的ではなく、それどころかアメリカ本土でテロが起こされるという事自体が識者の間や物語の中以外では非現実的だった。
 しかし、ユーリの故郷であるスヴェルドロフスクと、その工場で起きた炭疽菌の流出事故は実際にあった事なので、この小説のリアリティは抜群。
 読感としては、いかにもアメリカの小説といった風で、会話や細々とした動作が「映画の中で見るアメリカ」的。個人的には映画的という日本の小説では味わえない雰囲気なので、それはそれで面白いと感じた。訳が下手で会話の意味が通らないいった書評も見かけたが、これまた映画的な――言ってしまえば戸田奈津子の字幕で見慣れたアメリカ人の会話っぽいので、そういうものだと考えると気にはならない。
 物語としてはもちろん面白く、大筋は勿論のこと細々とした所にも魅力がある。
 テンポも良く、伏線の張り方や読者の先読みへの裏切り方なども、控え目ながら小気味良い。
 何度も繰り返すようだが全体的に「映画のような」作品で、物語の着眼点も今になってこそ理解しやすくなった「生物兵器テロの恐怖」なので、案外そのまま映画化しても受けるかも知れない。

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