街角を曲がる、猫のしっぽを追いかけて……

 その日、私はいつもどおりの道を通り、いつもどおりの場所に向かっていた。
 見なれた看板、歩きなれた街角、ごみごみとした人込み、排気ガスの充満した道路……だが、嫌ではない。
 暑い日ざしを浴びて、背広が汗で湿っているのがわかる。だけど仕事だから脱ぐわけにもいかない。今日もあまり調子が良くない。契約も取れないし、腹も痛い。そのうえ、数日前からひいている風邪のせいで熱まであるようだ。
 だからだったのだろうか。私はかつて飼っていた猫の事を思い出していた。
 彼は黒豹のような美しい毛皮を着こみ、何事にも華麗だったが、とても気さくでよく私と夕食を共にした。
 そんな彼がいなくなったのはいつだったのだろう。
 少なくとも私が大学のときには一緒にいた。下宿先のおばさんに頼み込んで、彼と一緒に住まわせてもらったのを覚えている。
 彼は私が落ちこんでいると、いつも慰めてくれた。
 全てをわかっているような言葉をかけるでもなく、わざとらしく明るく振る舞うでもなく、ふと気がつくといつの間にか側にいてくれる。そんなやさしい猫だった。
 彼が姿を消したとき、私は必死で彼を捜した。毎日、毎日、彼の行きそうな所を渡り歩いた。そうだ、あのときはもう入社していたのだった。上司に猫ごときで会社を休むなと言われて捜すのをやめたのだった。
 それでも、ずっと捜したかった。彼はどんなときでも私を支えてくれた、かけがえのない親友だったのだから。
 私が我に返ったのは親子連れが猫という言葉を発したからだった。
 女の子が指差す方向をつられて見てみる。
 黒いしっぽがビルの角を曲がる。
 そんなはずはない、そう思いながら私はその後を追った。私が角を曲がると、またしっぽが角を曲がる。私はそれを追いかけた。何度も何度もそれを繰り返したが、いつまで経っても街角を曲がるしっぽ以外のものは見えない。
 それでもずっと追いかけ、遂に日も暮れてきたので諦めて帰ろうとしたときだった。
 にゃあ
 確かに聞こえた。姿は見えないが確かに彼の声だった。周りを見まわしても誰もいない。だが、私は確信していた。彼は生きているのだ。生きていて、私がまだ彼を覚えているか、まだ大事に思っているかを試したのだ。そう思うと私は自然と笑顔になった。笑顔のまま、なぜか涙が出た。彼は私の前に姿を現してくれないのだと思うと、その涙は止まらなかった。
 それでも、私はいつもビルの角をみてしまう。
 彼が姿を現してくれなくとも、以前のようにしっぽだけは見せてくれるかもしれない。そう考えると、どうしても街角を眺めてしまうのだ。
 そして、今日も――

 街角を曲がる、猫のしっぽを追いかけて……