第4期ALIVE最終回2
ボルテクス・ブラックモアのエンディング

PTメンバーの承諾を得て、各キャラも登場してます。
時系列としてはジーンEDからの続きになりますが、一応独立しています。
 木の爆ぜる音がする。
 たき火のような小さい音ではない。それは少年にとって、見知った世界が崩壊していく音に等しかった。
 小さな目で見渡す世界は澄色に塗り尽くされ、今自分がどこにいるのかを解らなくさせた。
 そばにあった家が崩壊する。
 少年は、そこに住む村人の断末魔を聞いた。
 耳を澄ませてみても、いつものせせらぎは聞こえない。聞こえるのは、崩壊の音。家が燃え朽ちる音、泣き声、悲鳴、怒号。
 その日、少年は戦争を知った。
「ブラックモア」
 声に気付き、ボルは湖の水面から顔を上げた。波紋の向こうに映るのは、青年と呼べる年齢になった自分であった。
「ブラックモア、気付いているか?」
 振り返りながらゆっくりと剣を抜く。背後に森を背負って、赤い皮鎧を着込んだ女性が苦い顔をしていた。
「囲まれてますね。どうします?」
 見ると、赤衣の女は既に抜剣していた。ボルはその目を見てため息をついた。次に投げられる言葉が安易に想像できたからだ。
「ここは私が引き受ける。ブラックモアは逃げろ」
「お断りですよ師匠」
 女剣士はまだ二十代とうら若いが、剣の腕はボルよりも上である。
 戦場と化した村で天涯孤独となったボルは、気まぐれな傭兵に拾われ、以来彼を師と仰いで傭兵として育ってきた。だが男は生きる術については良き師であったが、お世辞にも兵士として強いとは言えなかった。案の定男は、ボルが八歳の時に戦場で死んだ。
 生前男に頼まれたという旧友の娘、それが今の師である。ボルにとって彼女は師であり、母であり、姉であり、そして――
「オレが残ります。逃げちゃ男が廃るってもんです」
 若き師よりも二歩進み出たボルは、肩をすくめておどけて見せた。
「師匠、背中が焦げますんでそんな睨まんでください。確か次に男がどうのと言ったら破門でしたっけ?」
「ああ破門だ。今すぐに私の前から消えろ」
 ボルは失笑をもらして、さらに二歩前進した。
「破門なら師匠の命令を聞くことなんてねぇや。ここはオレが英雄として名を馳せるための出発点。一人で全部蹴散らすんで、師匠は別の戦場へどうぞ」
「ブラックモア、貴様っ!」
「早く行ってくださいや、ほれ、敵が出てきちまった」
 木陰から数名の男が進み出る。鎧に一貫性が無いので傭兵だと知れた。ボルが少しだけ表情を引き締める。
 騎士ならばいざ知らず、歩兵程度に後れを取るつもりは無かった。だが相手が傭兵となると話は別だ。野盗と変わらない阿呆も多いが、生きるために職業として傭兵をしている者は格が違う。下手をすれば、騎士道だ礼節だと縛られている騎士様よりも戦いにくい。
 ボルの横に赤い影が進み出る。
「師匠!」
「もはや師ではない。貴様とは他人だ、何も進言されるいわれはないっ!」
 反論をしようとした時、木陰から黒衣の男が姿を見せた。両手には、二振りの黒い片手剣。圧倒的な威圧感を持った男だった。
 ボルの全身に寒気が広がる。横に並んでいた師が、わずかに退いて呟いた。
「黒双剣……ヴァンドルフ・デュッセルライトか」
「いかにも」
 戦場にあっても鎧をつけず、ただ長い漆黒の外套に身を包んだ男が短く応えた。
 師は完全に呑まれている。ボルはそれを好機と取った。
 次の瞬間、ボルは雄叫びを上げて黒い双剣使いに突進していた。
 一合、軽く振り上げられた黒剣とボルの愛剣がぶつかり合う。
「師匠、ここはオレが! 逃げてください!」
 その声で我に返ったのか、師が怒声を上げながら黒剣使いに躍り掛かる。
「逃げるのはお前だブラックモア。お前ではっ!」
 もう一振りの黒剣が師の剣を受け止める。近くで見ると、黒剣使いの顔は深い古傷だらけだった。
「この男は黒双剣のヴァンドルフだ! お前では勝てない、早く――」
「早く逃げんだよ師匠っ!」
 叫んでボルは師を後ろに蹴り飛ばした。
「ここで逃げちゃ……惚れた女見捨てて逃げちゃ男が廃るんだよ!」
 再び剣を振り上げて男に斬りかかりながら、ボルは横目で周囲の傭兵を確認した。傭兵達は己の獲物を構えるだけで、襲いかかろうとはしていない。このヴァンドルフに制止されているのかも知れない。ならばまだ勝機はある。ボルは全力で男と斬り結んだ。
 持てる全ての技を駆使し、体術を駆使し、頭を駆使して変化をつける。
「戯れ言はもういいな?」
 低い声がそう言ったかと思うと、目の前から男がかき消えた。ボルの目に最後に映ったのは、死角から迫り来る黒い刃だった。

 額が熱い。そう感じてゆっくりと目を開けようとしたが、右目が開かない。仕方なく開けた左目だけの世界は、真っ暗な夜の世界だった。
 背中に当たる土の感触と匂いで、ボルは自分が先ほどの湖のそばに倒れていると知った。湿気た草の匂いに血の匂いが混ざっている。左手をのったりと挙げて、額を触る。
「っ!」
 激痛で身体が跳ね上がった。触ってみると、生きているのが信じられないほど深い傷が額に穿たれていた。
「生きていたか」
 唐突にかけられた声は、低かった。
 ボルはその意味を悟り、弱々しい声で問いかけた。
「………………師匠は……」
「斬った」
 簡潔に結果だけを述べる。声の主が先ほどの双剣男だと解った時に覚悟は出来ていた。
「……………………………………ありがとう」
 見えないが、男が意外そうな顔をした事が雰囲気で伝わってきた。
 これでいい、ボルはそう納得しようとした。
 師ほどの器量だと、敗れて生かされた方が苦痛だっただろう。戦場に女が立つというのはそういう事だ。よくも殺しただとか、他に方法は無かったのかなどと聞くほど、彼は世間知らずでは無かった。
 男は師の身体を殺す事によって、心を生かしてくれたのだ。ボルは何度もそう言い聞かせた。
「構わん」
 男の返事でボルは我に返った。声にはまったく後悔や同情が感じられない。まるで斬るべくして斬ったと言わんばかりである。だがボルは気付いていた。男が礼の意味を理解したという事は、やはりそういう事なのだ。
「なぁ……」
 声を出すのも苦痛だが、ここで黙ると何かに負けるような気がして、ボルは寝ころんだまま喋った。
「アンタ……なんでオレを生かしている?」
「興味があったからだ」
「ヘッ、師匠に手ぇ出さずに死なせてくれたのは、アンタがそっちの趣味だったからかい?」
 軽口を叩いた刹那、ボルの耳たぶを何かが切り裂いた。横目で見ると地面に黒い剣が突き刺さっている。
「くだらん冗談を聞きたくて生かしたのではない」
 腰を浮かせる気配。男が近づいてくる。傷だらけの顔が、仰向けに倒れているボルをのぞき込む。
「貴様を生かしたのには、三つの理由がある。一つ、貴様の動きに才を見た。二つ――」
 ボルの額の右側を指さす。
「頭を両断するつもりだった剣を、寸での所で食い止めた貴様の師に免じて。三つ――」
 今度は自分の顔を指さす。よく見ると、傷だらけの顔にはまだ新しい傷があった。
「儂の顔に傷を負わした久方ぶりの戦士、貴様の師に免じて……」
「……ヘッ、ほとんど師匠に免じてるじゃねえかよ」
 憎まれ口を叩きながら、ボルは右の目尻についた血を、わずかに洗い流した。
「そうだ。貴様の命、もはや貴様の意志で自由になると思うな。貴様の命は、貴様の師が拾った命であり、儂が拾った命だ」
「何が言いたいよ? 自刃は許さねぇし、生きるのも手前ぇの許可がいるってか?」
「そうだ。だから――」
 我が弟子となれ。黒双剣のヴァンドルフはそう言った。


 木の爆ぜる音がする。
 たき火のような小さい音ではない。青い外套の男が放つ攻撃魔法による爆発だった。
「これが本気のジーンか」
 ボルは他人事のように、禁魔術を解き放つジーンを眺めていた。
「剣士が魔法に弱いと思うなぁっ!」
 懐かしい怒声が聞こえる。爆炎を振り払って現れたのは黒い影。
「どうした、この光双剣のヴァンドルフを殺すのでは無かったのか? 百人斬りのジーンよ!」
「ひゃあ、面白い顔してるなぁ」
 素っ頓狂な声はスリップの声である。ボルを盾にするように、彼の後ろから二人の戦いを覗き見ているのだ。
 あの島で共に戦った仲間も、気付けばスリップとジーンだけになっていた。思い描いた帰るべき場所、進むべき道が違ったのだろう。ボルの進むべき道は、島に足を踏み入れた時から決まっていた。それはジーンも同じであり、スリップも同じのようだった。
「まったく、師匠もいつになったら老けんだろうな。いい加減引退したらいいのによ。おっ」
 ジーンが肩に剣の腹を乗せて身を沈める。ボルには見えないが、その手には魔力が集まっていることだろう。
「おうおう、イェリィリパルスか。ホントに本気だねぇ、ジーンの野郎」
 師に敗れて島へ流れ着いたという魔剣士ジーン。瀕死の重傷を負ってさえボルを凌駕した魔剣士は、いまだ師からの傷が完治していない。それにも関わらず、彼の動きはボルが見たことのない早さと力強さだった。
「スリップよ、お前さんは少し離れた方がいいんじゃねえか? 巻き込まれたら死ぬぜ?」
「もう死んでるから大丈夫」
 元気にそう言うが、確かに彼は死んでいるらしい。かつてジーンと旅をした際に死んだはずが、なぜか仮初めの生を得てあの島にいたという。
「生き返るのにも体がいるだろうが。この後完全に生き返るための方法探しに行くんだろ?」
「ん〜、しょうがないか」
 スリップが背を向けて、二人だけの戦場から離れようとする。それを見届けてから、ボルは二人に向き直った。ジーンはイェリィリパルスの構えを取って魔力を高めている。
「さぁて、師匠は………………やべぇっ!」
 ボルは咄嗟に飛び退き、こっそり戻って来ていたスリップを捕まえて、倒れ込むように地面に伏せる。
 ジーンが疾風となって最強の一撃を叩き込む。対する師は悠然と双剣を構え、不敵に笑ってみせた。
「我が名、神剣のヴァンドルフ、記憶に刻んで散り逝けぃ! 神剣技奥義・天破ぁっ!!」
 一閃。
 師が持つ光の双剣と、最大限の魔力がこもったジーンの剣の激突。一瞬の死線の後には、瀕死となったジーン・スレイフ・ステイレスが横たわっていた。
 横薙ぎのイェリィリパルスを真っ向から縦に切り裂き、師ヴァンドルフは悠然と立っていたのだ。
「貴殿の名、墓碑と我が記憶に刻もう」
「まさか殺したのかよっ!?」
 ボルは叫んでから、本気でジーンを心配している自分に気付いて戸惑った。
 元々ジーンは師を殺そうと考えていた敵である。
 たった三ヶ月前の出会いを思い出す。
 仲間達との出会い、島へ向かった理由、随分と遠い昔のように感じる、たった三ヶ月。

 師が一番弟子の証である黒双剣を、弟子の誰かに譲りたいと言い出したのが全ての切っ掛けだった。
 今や万人に誇る師となったヴァンドルフが、かつて二つ名としていた黒双剣。ボルの額に一生消えない傷を残し、ボルの愛した二番目の師を殺した剣。他の弟子などには絶対に譲れない。譲れるはずがない。
 ボルは自ら名乗りを上げ、黒双剣を貰い受けるために師の出した試練を受ける事となる。それがあの島で生き抜く事であった。
 ふた月の約束で乗り込んだ島で、ボルはどこか懐かしい女性と出会った。エマール・クラレンス。二番目の師とは似ても似つかないし、性格も髪の色も何もかもが違う。ただ雰囲気が近かった。何気なく声を掛け、成り行きで同行した彼女は、結局三ヶ月間ずっと行動を共にした。
 そんな彼女も、気付けば姿を消していた。帰る場所を思い描くとしたら、二人の子供が待つ家だろう。あの淡々とした女が子供にどんな表情を見せるのかと、ボルは少し可笑しくなったものだった。
 エマールと組んでしばらく経った時に出会ったのが、ジーンとスリップである。
 もはやどちらと先に出会ったのかは覚えていない。だが妙に印象的な二人であった。
 ボルは元々ジーンの名を知っていた。魔剣を扱う伝説の盗賊剣士、一つの戦場で百人もの相手を斬り捨てた鬼人、ジーン・スレイフ・ステイレス。魔剣の力か、老いることを知らず、ただひたすらに戦い続けた男は、ボルと出会う少し前に人生初めての敗北を味わった。その相手がヴァンドルフだった。最初にジーンと会った時、彼の傷は致命傷だった。その致命傷で島に辿り着き、生き延びていたのだ。
 ジーンはヴァンドルフに復讐するため、その弟子であるボルを利用し、ボルは生き延びるための戦力としてジーンを利用した。いつまでも気の休まらない、疑心暗鬼の旅となりそうだったが、そうならなかったのはスリップのおかげと言える。
 スリップ・スラップは子供のように見えるが、その年齢は百を越える亜人種の青年である。
 数十年前にジーンや他の仲間と組んで旅をしていたが、ある遺跡で魔法を操る小鳥に殺されたらしい。そう、死んでいたはずだった。それがなぜ生き返ったのかは語らないが、どうやら仮初めの生を受けているらしく、宝玉を集めなければ再び死ぬことになるという。
 宝玉が嘘だったという今、スリップは再び死ぬのかもしれない。そうしないために、残された時間で仮初めの生を本物とするべく次の旅が決まっている。
 そして三人の変わり者、流岩徹、もりこし、翡翠。彼らは今どうしているのだろうか。
 岩徹はドワーフ族の職人であった。ドワーフのご多分に漏れず、低い背に赤褐色の肌、筋肉質で豪放といった人物だったが、紛れもなくドワーフとしては変人だっただろう。服装は黒い和装、髪は角刈り、ヒゲも伸ばさず無精止まり。作るのは細工物ではなく、包丁。包丁職人のドワーフだったのだ。ドワーフ族の文化圏には包丁などというものは無い。それがなぜか職人をしている。本名はガンテというらしいが、師匠に貰ったという流岩徹の名を掲げている。もっとも、ボル達一行は彼に包丁を作ってもらうよりも剣や鎧、装飾などを作ってもらう方が多かったのだが。恐らく今頃はどこかで包丁普及の旅でもしているのだろう。
 もりこしと翡翠は、エルフと妖精の変わり者。多弁で軽妙なもりこしは、まったくエルフらしくなかった。旅の間も森に居たのは数えるほどで、後はずっと日夜怪しげな材料を組み合わせては、様々な道具に妙な効果を付加しようと試していた。一方翡翠は、莫大な魔力を持った妖精の魔術師だったが、悲惨なまでに体力が無く、温存するためか口数も少なかった。ボルが振り返ると、真面目くさった顔をしてもりこしの頭で休んでいる事が多々有った。彼らがどこで何をしているのかは、想像も出来ない。案外、戦いを眺めていたボルを遠くで眺めている可能性もある。
 ボルはゆっくり立ち上がると、半ば地面に埋まったスリップを発掘してジーンの元へ向かった。
 ジーンに意識は無く、地面には大量の血が流れ出していた。
「師匠?」
「殺してはいかんかったか?」
 悪びれた様子もなく腰に光双剣を納める。
 ボルはその答えに迷いを見せた。ジーンは師をつけねらう敵であり、師からすれば刺客である。殺せるときに殺した方がいい。だが、ジーンとは三ヶ月もの間行動を共にし、僅かだが確実に仲間意識が芽生えていた。
「いかんよ、おっちゃん」
 代わりに答えたのはスリップだった。
「これからジーンには、俺の旅に付き合ってもらうんだから」
「だから殺さんかったのだ」
「へっ?」
「儂が斬ったのは剣と、前に斬った部分だけだ」
 師の言葉を確かめようと、ボルがジーンを介抱する。
「うわ、完全に傷が開いてやがる」
 以前の致命傷と同じ場所をなぞるように、浅く斬られている。治りかけた部分が再度開き、そこから大量の血が流れ出たのだ。しかしこれでは死んでいないというだけである。師の顔を伺う。
「これでしばらくは儂に挑もうなどと考えんだろう」
 口元だけで笑って、ヴァンドルフはボル達に背を向けた。
 無言で遠ざかっていく背中が小さくなった頃、ボルは意を決したように口を開いた。
「…………スリップ、ここでお別れだ。お前らの旅に付き合おうかとも思ったが、そうもいかん。ジーンによろしくな」
「ボルがいたんじゃ、俺もジーンも本気で走れないし、いいよ。俺達の旅が成功したら、多分また会える」
「成功しろよ?」
「失敗したら死んじゃうしね」
 悲愴感などまるで感じさせずにスリップは笑った。
 砂を払って立ち上がると、ボルは腰に下げた剣を外した。孤狼の魂、様々な人の思いが詰まった、あの島で最強の一振り。地面にはかつて流岩徹が打ち、ボルがジーンに譲った真狼牙が砕けている。
「……ジーンに伝言を頼む。『預けるだけだ、返しに来い』ってな」
 そう言って孤狼の魂をスリップに托す。
「気前がいいね」
「預けるだけだ」
「いくらで売れるだろ」
「預けるだけだからな!」
 軽妙に言葉を投げ合い、申し合わせたようにまた少し笑った。
「んじゃ、俺は行くわ。また、な」
 軽く手を挙げて、ボルは走り出した。既に見えなくなった師の背を追って。
 唐突に出会った仲間である。別れが唐突でも構わない。そう考えながら、その実、別れが辛いからだとは最後まで口に出さなかった。

 ヴァンドルフ・デュッセルライトは湖のほとりに座っていた。
 先ほどは持っていなかった荷物がある。どうやらこの湖でボルの帰還を待っていた様子だった。
「師匠、不肖の弟子ですが、無事に帰ってきました」
「負けてないだろうな?」
 何度も動物相手に負けたとは言えなかった。
「宝玉は取りました。師匠の時は一つも取ってなかったんですよね?」
「ほう、見せてみろ」
 実は宝玉自体ありもしない偽物だったとは言えなかった。
「六つ、六つ全部揃えたんですよ。一番にとはいかなかったけど、二番目に」
「だから見せてみろ」
「……全部、消えました。あれは形に残るものではなかったんです」
 ボルは少し焦りを覚えた。黒双剣を受け継ぐ条件は二ヶ月生き延びる事。ボルは三ヶ月生き延びたのだから、条件は満たしている。しかし、誇れる何かが無ければいけない気がしたのだ。
 島でのことを思い出しても、師に胸を張れるものが出てこない。師の二つ名でもあった神剣技では遅れを取った。純粋な剣技の腕では一番手だったが、剣士としては自らが認めるだけでも何人も自分以上の使い手がいた。さらには、苦い思い出のある暗殺術を剣技に組み込もうとしてしまった。師どころか、自分にさえ胸が張れない。
「構わん」
 いつか聞いた言葉が、またボルを我に返した。
「形に残る成長など儂は信じん。この傷を見ろ」
 顔中に無数の傷がある。体にはこれの数十倍の傷があるだろう。そのどれもが深手である。師が大戦期に千近い戦場を渡り歩いた証だ。
「儂の傷は勲章ではない。弱さの証だ。これだけの傷を負ったから成長したと思うか? 違う。傷など負わんでも成長はする。傷を受ける自体が無力の証だ。勲章を貰ったからと言って、土地や地位を貰ったからと言って、成長したと思うか? それは出世かも知れんが、出世と成長は同義ではない。儂の言いたいことが解るか?」
「しかし俺は……」
 うつむいたボルの足もとに、二振りの黒い剣が突き刺さる。驚いて顔を上げたボルに、ヴァンドルフは慣れない微笑を向けた。
「自信に繋がらぬ成長もあると学べたな。今日から、黒双剣のブラックモアと名乗るがいい」
 意味が理解できないといった顔で、しかしボルは黒双剣を地面から抜きはなった。
 間近で見る黒い刀身は、予想に反して美しく輝いている。刀身を立ててみると、ボルの顔が映り込んでいた。鏡像のボルの背後に、懐かしい顔が見えた気がした。不器用だが優しい微笑。刀身を下げる。そこにはヴァンドルフが相変わらず慣れない微笑を浮かべていた。
「まったく、俺の師匠はなんでこうも笑うのが苦手なんだ……」
 小さく呟いて、ボルも微笑した。
 この剣には魂が宿っている。
 ヴァンドルフ・デュッセルライトが戦場で命を預け、己を磨くために魂を込めた。幾多の敵の魂を吸った。そしてあの時、ボルが守りきれなかった魂もまた、この剣に宿り、これからのボルテクス・ブラックモアを護り続けるのだろう。

 その後、大陸各地の紛争に黒双剣のブラックモアという通り名の傭兵が名を馳せた。白い双剣使いの相棒と共に、正規兵以上の働きを見せた黒双剣は、その師、光双剣のヴァンドルフと並んで称されるほどの剣士へと成長する。
 高名が確かなものとなった頃、黒双剣のブラックモアは突如傭兵を辞めてしまう。
 戦争や紛争に巻き込まれかけている村々を転々とし、そこで小さな料理店を開いては、戦渦が遠のくと村を去る。そんな事を繰り返していた。
 不思議と彼が滞在している村が戦渦を被る事は一度もなかった。なぜか必ず、近づいてきた戦渦の元、部隊の本陣が一夜にして壊滅していたからだ。
 人々は噂する。黒い剣を持った旅の料理人が、夜な夜な軍を襲っていると。
 その真相は定かではない。
 しかし、ボルテクス・ブラックモアという剣士の名が後世に伝わる時、二つ名「黒双剣」と共に語られる事がある。
 光双剣のヴァンドルフとその二人の弟子、白双剣のクレイモアと黒双剣のブラックモア。三人の剣士が、街に迫った軍を相手に立ち塞がったという伝説。その結末は、英雄への賛歌で締めくくられている……。